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公開 | 佐々木葉子

情熱の仕事人。パラスポーツが、勇気をくれた。北海道エネルギー(株)パラスキーチーム監督「荒井秀樹」

alt、情熱の仕事人。パラスポーツが、勇気をくれた。北海道エネルギー(株)スキーチーム監督「荒井秀樹」


2020年に向けて、スポーツへの関心が高まり、パラスポーツの露出も増えています。
国内でのパラスポーツ、中でもノルディックスキー部門が国際舞台に躍り出たのは、
1998年の長野パラリンピック大会から。その扉を開いたのが、荒井秀樹さんでした。

この春、北海道エネルギー(株)パラスキーチーム監督に就任し、2030年の札幌冬季
オリパラ招致活動にも取り組んでいる荒井さんに、パラスポーツの魅力を聞きました。

 

目次

・パラスポーツは、弱者のスポーツではない
・失われたものを数えるな、残されたものを最大限に生かせ
・日本の技術を生かすことができれば、勝てる
・2030年、地元で地元選手に金メダルを


 

パラスポーツは、弱者のスポーツではない

「1998年長野パラリンピック大会参加に向けて、ノルディックスキーのヘッドコーチをやってくれないか」。

荒井さんにそんな声がかかったのは、1995年秋。「わずか2シーズンで国際大会に出場するチームを作る。それは、相当な無理があります。でも、私は東京都特別区の職員の傍ら、東京都スキー連盟のジュニア強化に関わっていましたので、日頃指導している彼らと一緒にトレーニングができればと、そう深刻に考えることなく、この話に乗りました」。

この一件を発端に、20年以上パラスキー界を牽引してきた荒井さん。前を行く師もいなければ、共に戦う選手も揃わない、ほぼ白紙の状態からのスタート。しかし、鍬を手に荒野を前にした、かつての北海道の開拓者がそうだったように、荒井さんは獅子奮迅の活躍で、長野大会以降、6大会連続でメダリストを輩出する快挙を成し遂げるのです。

 
alt、▲荒井秀樹さん:1955年生まれ、旭川市出身。中学時代からクロスカントリースキーに親しむ。中央大学卒業後、東京都に勤務。96年、日本パラリンピックノルディックスキーチームヘッドコーチ、監督に就任。現在、北海道エネルギー(株)パラスキーチーム監督、星槎道都大学特任教授、北翔大学客員教授、WPNS世界パラノルディックスキーコーチアドバイザー、日本障害者スキー連盟ノルディックスキーチームGM、(株)電通顧問▲荒井秀樹さん:1955年生まれ、旭川市出身。中学時代からクロスカントリースキーに親しむ。中央大学卒業後、東京都に勤務。96年、日本パラリンピックノルディックスキーチームヘッドコーチ、監督に就任。現在、北海道エネルギー(株)パラスキーチーム監督、星槎道都大学特任教授、北翔大学客員教授、WPNS世界パラノルディックスキーコーチアドバイザー、日本障害者スキー連盟ノルディックスキーチームGM、(株)電通顧問


「ところが、ふたを開けたらパラリンピックの関係者は福祉・医療系が中心で、ノルディックスキー経験者は皆無。パラリンピッククロスカントリースキーコース設計の経験者も、国際大会に出場した選手もいませんでした」。

荒井さんに「パラ国際大会を視察してきてほしい」と厚生省(現:厚生労働省)から要請があり、96年2月、IPC障害者ノルディックスキー世界選手権スウェーデン大会へ。競技の実情に加え、障がい者との向き合い方など多くを学び、帰国。その足で、選手集めに奔走します。

視察チームのメンバーから、「全国中学生スキー大会で、片腕でスキーを滑っていた選手がいた」と聞くや、荒井さんは大会のパンフを取り寄せ、そこに印刷されている宿泊施設に「こんな選手に覚えがないか」と次々電話をかけ、問合せ。そして、岡山県に暮らす新田佳浩さんを探し当てます。

荒井さんは、すぐにご両親とご本人を説得するために岡山へ出向きます。「パラリンピックの映像などを見てもらい、長野を目指す選手として新田君を預けてほしいと。お父さんは頑として首を縦に振りませんでしたが、一ケ月後、本人からやりたいと連絡が入ったんです」。
 

alt、▲2018年の平昌大会で、共に歩んだ新田佳浩選手が金メダルを獲得。初めて会った日から21年がたっていました▲2018年の平昌大会で、共に歩んだ新田佳浩選手が金メダルを獲得。初めて会った日から21年がたっていました


パラスポーツは、弱者のスポーツではない。
荒井さんが残した言葉が心を動かしたと、新田さんは後日語っています。

「その言葉は、スウェーデン大会を見た私の率直な感想です。座ったまま滑るシットスキーのスピード、片腕の選手がきつい斜面を上がっていくパワーには本当に驚かされました」。

 

失われたものを数えるな、残されたものを最大限に生かせ

98年の長野大会では、荒井さんが指導した井口(旧姓小林)深雪さんのバイアスロン金メダルをはじめ、日本勢は計41個のメダルを獲得。しかし、大会が閉幕すると、周囲の関心は潮が引くように冷めて行きました。

 
alt、▲1997年、白馬で行った長野大会前の夏合宿▲1997年、白馬で行った長野大会前の夏合宿


個人的にアスリートを応援する方々も、もちろんいました。しかし、継続して応援しようという空気、応援の輪を広げる装置を作ることも重要な仕事だと、荒井さんは考え始めます。

その頃荒井さんは、電車の中で偶然隣に座った(株)日立システム アンド サービス(現:(株)日立ソリューションズ)の重役に、自己紹介を兼ねて、障がい者スポーツの課題や自らの思いを伝えました。すると、重役からその話を聞いた社長が興味を持ち、荒井さんは実業団チーム結成を提案する場を与えられるのです。

パラリンピックにシフトした実業団チームは、日本では前例がありません。第一号となれば、会社のPRにもなります。また、スポーツは、年齢や肩書を超えて社員を一つにすることができ、会社の一体感を醸成することもできます。

情熱がほとばしる荒井さんのプレゼンテーションは役員らの賛同を得て、2004年、パラリンピックを目指す日本初の本格的な実業団「チームAURORA(アウローラ:イタリア語で夜明け)」が同社に誕生。荒井さんは、東京都の職員からチームの監督に転身します。
 

alt、▲「チームAURORA」設立メンバーと(2006年トリノ大会にて)▲「チームAURORA」設立メンバーと(2006年トリノ大会にて)


「会社には、社員後援会を作ってください、そして会員数をスキー部の評価にしてくださいとお願いしました。会社の業績に左右されることなく、応援し続けてもらえる環境を作りたかったんです。ですから、社内の全部署を回り、私たちのチームを応援してくださいと懇願しました。お許しがいただけた得意先も、同様にまわりました」。

その結果、発足当初は69人だった会員が、全社員の約半数の4,800人を数えるまでになりました。

猪突猛進、孤軍奮闘、東奔西走。とにかく、これと決めたら一直線に、果敢に進む荒井さん。そのモチベーションを尋ねると、パラリンピックの父と称されるルートヴィヒ・グットマンの言葉を教えてくれました。

「失われたものを数えるな、残されたものを最大限に生かせ」。

「パラリンピックの言葉として紹介されますが、私は自分に言われているように感じる」と、荒井さん。真実をついた言葉は、いつも荒井さんを激励しているのだそうです。

 

日本の技術を生かすことができれば、勝てる

精神論から理論へ。テクノロジーの進化は、アスリートの指導、強化の分野にも変化をもたらしています。だからこそ、その道のプロフェッショナルといかに連携できるかも、チームを率いる監督の腕の見せ所なのです。

「チームAURORA」監督と日本パラリンピックノルディックスキーチーム監督の二足のわらじをはいていた荒井さんは、2014年のソチ大会の後に、元オリンピック選手で日本代表コーチとして活躍していた長濱一年さん、元オリンピックチームワックスコーチの佐藤勇治さんをパラ全日本へ招聘します。「長濱さんが住んでいる八戸に押しかけました(笑)」。

ワックスは、クロスカントリースキーの勝負を分けるかなめ。「障がい者スキーの場合、片手で滑る選手なら左右のスキー板のバランス、ストックを持たずキックで上がっていく選手は強弱をどうワックスで調整するか、とてもデリケートなんです」。
 

alt、▲ワックス作業を入念に行うコーチ陣▲ワックス作業を入念に行うコーチ陣


さらにワックス選びの指針となる気温や湿度、雪質の予測精度を高めるために、荒井さんは気象データを扱う(株)ウェザーニュース(千葉県千葉市)とタッグを組み、気象予報士もまじえて科学的な研究を深めているのだそうです。

平昌大会前には、スキー板の滑走面に細かい溝を入れるハンドストラクチャーの開発にも着手。「ロケットなどの航空宇宙部品を主とした精密加工が得意の(株)浜島精機(長野県飯田市)と筑波大学、パラ日本チームの長濱さん、佐藤さんが中心となって、世界にないオリジナルのストラクチャーを研究開発しています」。


alt、▲「人生は一度。だから、自由な発想はおもしろく、苦労すればするほど楽しい」と荒井さん▲「人生は一度。だから、自由な発想はおもしろく、苦労すればするほど楽しい」と荒井さん


障がい者のクロスカントリースキーは、30秒ごとに選手がスタートし、同じコースを繰り返し滑る上、障がいに応じた係数をかけます。そのため、トップ通過の選手が必ずしもトップになるとは限らないということが起こります。

「自身の順位を把握できない選手に、私たちが的確に声を掛けるためには、複雑な計算を瞬時にこなせるツールが必要になります。エクセルに入力していたのでは、とても間に合わない(苦笑)。この問題を解決するために、ITソリューションを得意とするソフトウェア開発会社・AID(長野県松本市)に依頼して、タイムランチャーを開発しました」。

さらに上へ行くためなら、労力はいとわない荒井さん。その情熱を媒体に、日本各地に潜むものづくりの力が、パラスポーツの舞台で繋がっていることを教えてくれました。

 

2030年、地元で地元選手に金メダルを

2019年4月、荒井さんは、北海道エネルギースキーチームのパラスキー部門、パラスキージュニア部門立ち上げに参画し、監督に就任しました。

「北海道エネルギーは、全道に300ケ所近くのサービスステーションを展開しています。また、勝木紀昭社長は、札幌スキー連盟会長、北海道スキー連盟会長、全日本スキー連盟副会長でもあります。サービスステーションをパラスポーツなどの情報発信基地として、北海道におけるスノースポーツ全般を盛り上げていこうと、意欲を燃やしています」。
 

alt、▲北海道エネルギースキー部所属のアスリートと一緒に▲北海道エネルギースキー部所属のアスリートと一緒に


また、荒井さんは、2030年の冬季オリパラ招致にも尽力しています。「逸材の新田選手でも、本格的に競技に臨んでから金メダル獲得まで12年かかりました。いま、第二、第三の新田選手を地元で発掘できれば、地元開催の大会で地元の選手が金メダルをかける姿を目にすることができる。それは決して夢ではないんです。今からやれば、間に合うんです」。

選手にとって、周りの応援や協力は大きなパワーになることを、荒井さんは自身が選手だったこともあり、身に染みて知っています。そうした場づくりのためにと、2019年3月に開催されたワールドパラノルディックスキーW杯札幌大会では、選手と子どもたちがふれあう場を用意しました。
 

alt、▲2019W杯札幌大会期間中、海外選手と子ども達の交流会を開催▲2019W杯札幌大会期間中、海外選手と子ども達の交流会を開催


2020年2月16日には、「さっぽろ雪まつり」の雪を利用して、大通公園と一部公道にクロスカントリースキーコースを作り、パラリンピック選手やパラジュニア選手、健常者のジュニア選手のスプリントレースを開催する予定です。札幌市や札幌商工会議所などで実行委員会を結成し、準備を進めていて、荒井さんは「会場にはシットスキーの体験もできるようにしたい」と意気込みます。

また、札幌市内の大学では「パラリンピック概論」などの授業を受け持つなど、さまざまな人がパラスポーツに興味・関心を持てるよう活動しています。
 

alt、▲2016年から大学で教鞭をとるように(写真は札幌大学)▲2016年から大学で教鞭をとるように(写真は札幌大学)


「私は、パラスポーツから、勇気をもらいました。懸命に立ち向かうアスリートの姿を見れば応援したくなります。それだけでなく、自分も頑張らなければと思わせてくれるんです」。

パラスポーツとともにある限り、荒井さんの情熱は涸れることはない。そう確信しました。

 

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