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公開 | わたなべひろみ

八雲町落部で未来の海を守るために。噴火湾鮮魚卸龍神丸 舘岡夫妻の挑戦




北海道で生まれ育った生粋の漁師と東京生まれの都会っ子の元看護師……北海道八雲町の落部(おとしべ)の異色のご夫婦、噴火湾鮮魚卸龍神丸の舘岡勇樹さん、志保さん。お二人は本業の漁業を営みながら、漁業を身近に感じてもらうためや町の活性化のための活動に奔走しています。
 
舘岡夫妻にお二人のこと、漁業のこと、海のことを聞きました。

 

夢は考古学者。でも、漁師を継ぐのが当たり前だと思っていた

 
―勇樹さんは、どうして漁師になったのですか?
 
勇樹さん:漁師の父に「お前は漁師を継ぐ」と言われ続けて育ちましたから。
なるべくして、なったという感じです。うーん、ならされた? (笑)
 
 
―他になりたいものはなかったのですか?
 
勇樹さん:考古学者になりたかったですね。でも、小学生の頃から、父の船に乗ってましたし、漁師になることに特に抵抗はありませんでした。



 

勇樹さん:ただ、中学生くらいの頃から、漁業や漁師をやることに関して、モヤモヤというか、とらえどころのない不安は感じていました。
父が何かにつけ、「魚が安くなったなぁ……」と、ため息をつくことが年々増していましたから。
 
高校を卒業してから、自分が漁師になっても、不安は晴れるどころか、ますます濃くなっていきました。
 
八雲町の、この辺りでは9割がホタテ養殖の漁師なんです。その中で、僕は刺し網漁でカレイなどの魚を中心に獲っています。
 
ところが、年々海水温は上昇しているし、養殖ホタテが大量に死ぬ現象も続いている。今まで獲れていた魚がどんどん減り、魚体も小さくなっていく。年によっては、今まで北海道では獲れなかった種類の魚が上がったりもするんです。
 
刺し網漁というのは、海に出て魚がたくさん獲れれば収入になりますが、船を出しても、魚が獲れなければ、船を動かす油代だけがかかって、大きなマイナスになるんですよ。

魚が減っているわけですから、必ず魚が獲れるとは限りません。
獲れた魚を、そのまま組合に納めるだけでは、せっかくの魚の価値を自分でコントロールすることもできない。
その日暮らしのような状態の繰り返しで、このまま刺し網漁を続けていって大丈夫なのだろうかと感じていました。
若手漁師も本当に少なくなっていましたし。

 

漁師の嫁になるつもりではなかった

 
―志保さんは、東京ご出身ですよね? 元看護師とのことですが?
 
志保さん:はい。東京生まれの東京育ちです。

高校3年で家出をして、学校は卒業したものの、生活する手段がなかったので、住み込みの看護助手として病院に勤務しました。その病院の看護部長のすすめもあり、看護学校への進学を決め、看護師になりました。
 
 
―北海道の漁師の勇樹さんとは全く接点がなさそうですが、どのように出会ったのですか?
 
志保さん:北海道と東京と離れてはいましたが、実は親戚同士で、彼が手の手術のために上京した時、部屋が空いていたので自宅の一軒家に泊まってもらったんです。
 
その時に、彼(勇樹さん)がずっと抱えていた漁師としてのモヤモヤをいろいろ話してくれたんですね。
 
 
―それがきっかけでご結婚へ?
 
志保さん:いいえ、その時は、漁師の嫁になる気はぜんぜんありませんでした(笑)。
 
その時、彼が、父親や他の漁師仲間になかなか話すことができない不安や、自分が命をかけて獲ってきた魚の良さをもっと多くの人に知ってもらいたい、価値がわかる人に高値でも買ってもらいたいという思いを聞きました。
 
でも、「ずっと漁師しかやったことがない、海の上の世界しか知らない自分だけではどのような方法でやったらよいのかがわからない」と悩んでいたのです。
 
その当時、私は、在宅医療の現場で、看護師と営業の両方を掛け持ち、ちょうど10年目で事業としても落ち着いてきたところでした。後任も育ってきており、この先、医療の世界で仕事を続けていくとしたらどうしていこうかと考えていました。
 
そんな時に、彼の話を聞いて興味を持ち、自分なりに水産業の現状を調べたり、いろいろな人の話を聞いたりしているうちに、これからは、水産業に関わる方が面白いのではないかと思ったんです。
 
漁師の世界には、浜の独特の地域性があり、新しいことを始めることにためらいがあったり、なかなかよそ者を受け入れてくれなかったりという、閉鎖的な部分が少なくありません。

でも、そんな人たちが、殻を破り、外の世界に目を向けるようになったら、どんな変化が起こるのだろう。
そんな姿を見てみたい!
 
そう思って、水産業の世界に飛び込むこと、北海道に移住することを決意しました。でも、その時は結婚するなんて、全然考えていませんでした(笑)。


イベント時には手ずから海産物を販売する▲イベント時には手ずから海産物を販売する 
 

―周囲の反対はありませんでしたか?
 
志保さん:もちろん反対されました(笑)。
 
子ども2人を抱えての移住でしたし、副院長という責務を負っていたにもかかわらず辞めるなんて……と、同僚や親族、友人、皆から反対。
賛成する人は誰もいませんでした(笑)。
 
でも、私は看護師の仕事をしてきて、悔いを残して亡くなられる方も多く看取ってきました。
自分の人生に悔いを残したくはない! そんな気持ちで子どもたちを連れて北海道に来ました。
 

噴火湾鮮魚卸龍神丸としての起業


 



―志保さんの移住後に本格的に鮮魚卸を始めたのですか?
 
勇樹さん:2014年の4月に噴火湾鮮魚卸龍神丸として起業をしました。
 
志保さん:私が主に営業を担当して。
 
勇樹さん:最初は料理店から注文をいただいても、送り先に着いた時には魚が店では出せない状態が続いたんです。
それまでは、送るといっても近場へがほとんどでしたし、活締めのみ、梱包の仕方もよくわからなかった。
そんなやり方でいきなり大阪などに送っても、鮮度が落ちているわけではないけれど、料理店では出せるものではなかった。
仲買さんたちの手間や苦労がわかりましたよ。

徐々に勉強をさせてもらい、神経抜きや梱包の工夫をして、少しずつ扱ってもらえる取引先を増やしていきました。
 
志保さん:と、言ってますけど、初めのうちは、料理人さんから「神経抜きをしてくれると新鮮な状態でもっと日持ちがするよ」などと言ってもらっても、
「オレの獲った魚のことはオレがよくわかってる!」と、突っぱねて素直じゃなかったんですよ。
確かに、獲った漁師が魚のことを一番わかってるのでしょうが。
 
けれども、自分の獲った魚が想像したことのないような料理に生まれかわるのを目の当たりにしたり、消費者から食べた感想を直接伝えてもらったりするうちに彼の考え方も変わってきました。
 
相手がどのようなものを求めているか、どういう状態で着くとうれしいか。料理店さんや消費者と対話することで、そういうことを一つ一つ学ばせてもらっています。
 
最近は、鮮魚卸ばかりではなく、魚に付加価値をつけて消費者に届けるための加工品の開発にも力を入れています。
落部の特産である桜ガレイを桜の葉と漬け込んだものや、ホタテの殻を粉末にしたシェルパウダーを使用した宗八カレイの干物、鮭のコンフィなどは既に商品化しています。
これからも、消費者が魚を食卓に取り入れやすい商品を考えていきたいと思っています。
 
 
完成した鮭のコンフィ。さまざまな加工品に挑戦している▲完成した鮭のコンフィ。さまざまな加工品に挑戦している


―営業はどのようにされているのですか?
 
志保さん:まず私が、12月、1月くらいまでに函館や東京、大阪などの料理店にコンタクトを取り、「漁師直送で魚を卸しています」と話を持ち込みます。
興味を持ってくれたお店に詳しい話をしたり、場合によっては私が足を運びます。八割方の話をしておいて、2月の休漁期に彼と一緒にあいさつに行きます。
 
 
―勇樹さんと一緒に行くのはなぜですか?
 
志保さん:私が10話すより、彼が1話す方が、ダイレクトに相手に伝わって商談がまとまりやすいのです。
 
命の危険がある中で、漁師は海に出て魚を獲りに行く。自分が獲って自分が売りたいものに対する思いは本人でなくては伝えられないし、料理人さんがそのストーリーごと全部をお皿に乗せるという関係でないと長続きしないのです。
 
 
―新しい取り組みをすることで、周囲の反応はどうでしたか?
 
志保さん:やはり、小さな港町ですから、最初はあまり良くは思われなかったです。
 
でも、魚の値段が安いからと言ってぼやいてばかりでは、何も変わらない。
そこに、外側から私のような人間が入り、彼自身も新しいことを始めて、周りとの摩擦もあり、彼も変化・成長していきました。

その進化する姿を見て面白いなあ、すごいなあと思って、結婚したっていうのはあります。ただの漁師だったら、たぶん私、結婚してないですよ(笑)。
 
 

未来の海を守るため・地域を元気にするための活動へ

―漁師としての仕事以外にもさまざまな取り組みをしてらっしゃるそうですね?
 
勇樹さん:今年2019年4月に一般社団法人蝦夷新鮮組を立ち上げました。漁業改革を行うため北海道内の漁師や水産関係者が集まりました。消費者と漁業の結びつきをつくるために、漁師自らがセミナーや獲ってきた魚を食べるイベントなどを行っています。つい先日は、苫前のミズダコ樽流し漁のFIP(※注1)についてのセミナーを漁師本人のレクチャーで行いました。
 
(※注1):FIP=Fisheries/Aquaculture Improvement Projectの略。漁業の持続可能性を向上するためのプロジェクトのこと。
 

蝦夷新鮮組の発足式には多くの人が集まった▲蝦夷新鮮組の発足式には多くの人が集まった

 
志保さん:普段の食卓で、魚より肉という傾向は強くなっていると思います。かく言う私も、水産業に携わるまでは、魚が苦手でした。

でも、その魚をどんな漁師が、どのように獲ってきたのか、獲ってきた魚をきちんとした処理をして食べると、どれだけおいしいのかを知ることで、魚や漁師に対する捉え方が変わってくると思うんです。

また、今のままだと、乱獲や環境汚染、海水温の上昇などで、海の魚は2050年には食べられなくなってしまうとも言われています。そのような海の現状を食べる側の消費者にも知ってもらいたい。
そんな目的で蝦夷新鮮組は活動しています。活動の中で、それまで消費者と接することのほとんどなかった漁師自身も変わらなければと頑張っています。
 
 
―志保さんも新しいことを始められたとか?
 
志保さん:漁師の嫁という立場を越えて、漁業プロデューサーとして、漁業や漁師と消費者を繋ぐこと、商品開発などを始めています。
 
漁師といえば、「無口でごつくて怖い」とイメージする方も多いでしょう。
実際そういうところもあるかもしれませんが(笑)、毎日、漁に出たらもしかしたら帰って来られないかもしれない、という覚悟で海に出て、自分がプライドを持って出せる魚を獲ってくる。すごく輝いていて、カッコいい生き方をしているんです。
私はそれを、伝えていく立場なんだなあと。
 
2018年11月からは水産庁の舵取りで発足した「水産庁水産女子推進会議」にも参加しています。





男性社会である水産業を女性の視点や力で変えて盛り上げていこうという主旨で始まったプロジェクトです。

今年2019年6月8日には第2回の会議が行われ、北海道からも3人参加しているんですよ。
この時、プロジェクトのロゴマークに私が提案したものが採用されたのもうれしかったです。



 
 
―これらの活動を進めてきて、どんな変化がありましたか?
 
勇樹さん:積極的な若手漁師や地元の若者が増え漁業に関心を持ってくれるようになってきましたし、他の漁師や農家からの問い合わせが増えてきましたね。
 
志保さん:龍神丸の6次産業化や販路の開拓、漁業や八雲町の情報発信を積極的に行い、実績を積んできたことで、周りから注目されることも多くなり、メディア露出も増えました。
それにより、当初はあまり関わりを持ってくれなかった地元の漁業組合にも渚泊(※注2)への取り組みなどに協力いただけるようになってきました。
 
実は、2019年度の農林水産省の農泊推進事業の採択を受け「落部ブルーツーリズム推進協議会」を八雲町役場と落部漁業協同組合とともに結成しました。中核団体は蝦夷新鮮組となり、観光型漁業を開始しています。
これからは、町・組合と一体となり、各種漁業体験や加工品や特産品開発、漁業イベントなどで浜のPRを行っていきます。
 
(※注2)渚泊=。農林水産省では、農山漁村における滞在型旅行を「農泊」としているが、特に漁村地域におけるものを「渚泊」とする。

 
―今後の目標はいかがですか?
 
勇樹さん:これまでも続けてきていることですが、メディアでは伝えきれてない漁業の危機的状況を漁師が自ら発信することで消費者が関心を持ってもらい、漁業をもっと身近なものにしてもらえるようにしたいですね。
 
また、魚の価値を上げることも大事ですし、漁業の担い手として積極的に活動する漁師仲間を増やし、浜を活性化していきたいです。
 

人前で話すことは苦手だったという勇樹さん。今ではさまざまな取材にも応じる▲人前で話すことは苦手だったという勇樹さん。今ではさまざまな取材にも応じる

 
勇樹さん、志保さんともに、メディアやトークイベントなどで情報発信する一方、地元で行われる祭りの運営や手伝いに積極的に参加、漁師にとって大事な財産である海を清掃するビーチクリーン作戦を企画・決行するなど、本業の漁師の他に縦横無尽に活躍されています。
 
これまでの「漁師」の枠にとらわれない2人の動きに、これからも目が離せません。
 
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