函館で開催した「GLAY」のライブステージは何故「黒船」だった?

7月27日(土)・28日(日)、北海道を代表するアーティスト「GLAY」の野外ライブが函館市で開催されました。2日間で5万人が熱狂したそのライブステージは、巨大な「黒船」をイメージしたセットでした。






今回のライブは、生まれ育った函館で大規模な野外ライブを開催したいという、GLAYメンバーの長年の構想が実現したもの。同時に函館の魅力を知ってほしいという想いも込められています。





会場となった函館港に面する「緑の島」に出現したのは、「黒船」をイメージした幅約100メートルある大きなステージでした。遠くからでも目立っていました。





函館と黒船のつながりをご紹介しましょう。

1854年、開港候補だった函館(当時の漢字表記は「箱館」)の港の下調べに、アメリカの海軍提督だったM.C.ペリーが5隻の艦船を率いて来航しました。当時の日本は諸外国との往来を禁じる鎖国を行なっていた時代。ペリーは徳川幕府と交渉するために、アメリカ大統領からの開国を求める国書を持って日本を訪れていました。
来航した船は黒塗りだったことから、「黒船」と呼ばれ、日本の船とは比べ物にならないほど大きく、函館の人々は大変驚いたようです。





ペリーは、2週間以上の滞在の間、函館港の海図を作成したり、銀板写真術(ダゲレオタイプ)の初公開、西洋音楽の吹奏などを行なったと記録が残っています。函館の街を見学したり、買い物を楽しんだりもしたようです。

このペリー来航がきっかけとなり、1859年に函館港は正式に国際貿易港として開港し、外国の領事館が置かれて洋風建築物も増え、欧米文化の影響を強く受けて発展していきました。





ペリー像は函館港を見下ろすように、観光名所の「旧函館区公会堂」のある元町公園の下に立っています。

そしてそのペリーの視線の先には・・・
GLAYの黒船ステージが!














明治以降、北海道の玄関口となった函館。北海道へ来るためにまず最初に上陸したのがここ「北海道第一歩の地碑」のある場所。





その近くには、「新島襄(にいじまじょう)ブロンズ像」があります。
海外で見聞を広めたいという強い願望を持っていた新島は、1864年、GLAYのライブ会場の「緑の島」付近から1艘の小舟で密出国に成功。アメリカに渡り、帰国後は現在の同志社大学を創設した偉人となりました。





このように函館と黒船の歴史を振り返ってみると、小さな函館の街を飛び出して東京に行き、大きな日本の音楽シーンの中で戦って、日本を代表するロックバンドとなって帰ってきたGLAYに相応しい場所とステージだったのだと思います。

時代を超えて函館の歴史とシンクロするGLAY。偶然か運命か。
この希望の港を舞台に、また次回も開催すると約束してくれた凱旋ライブは「必然」ですね!

 

GLAY

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