北海道情報サイト「北海道ライカーズ」北海道情報サイト「北海道ライカーズ」

what likers

Icon search探す

公開 | 木村健太郎

いちはやく“北海道の酒”にチャレンジした「小林酒造株式会社」―そして“深化”は新たなステージへ~北海道の酒蔵シリーズ(5)

札幌から東へ45㎞。人口約11,800人(2019年2月1日現在)の夕張郡栗山町に、壮観な赤レンガ造りの建造物群があります。それが銘酒「北の錦」を醸す小林酒造株式会社です。

「北の地に錦を飾る」という由来がある銘柄名は北海道ではお馴染みになりました。日本のエネルギー政策を担った空知地方の石炭事業とともに成長を続け、常に先進的な試みで北海道酒造業界に新風を吹かせてきました。今後も地元にこだわった新たな挑戦を続けようとしている同蔵を訪ねました。
 
 
▲現在、このレンガ蔵で清酒の仕込みを行っています
 
 

目次

・蔵の歴史が凝縮された重要文化財の建造物群
・炭鉱の酒から「北海道の酒」への大転換
・地元の「農」にこだわり日常の食卓によりそう「農の酒」へ


 

蔵の歴史が凝縮された重要文化財の建造物群

JR栗山駅から歩いて10数分。小さな町の酒蔵とは思えない規模の建造物群はひときわ目立ち、町のシンボルになっています。開拓使以降の明治・大正期建築の象徴でもある和洋折衷の赤レンガと札幌軟石による石造りの蔵や事務所、木造家屋が18棟も並び立ち、そのうち9棟が国指定の重要有形文化財に登録されています。この建造物を見学するだけでも価値があるはずです。
 
 
▲大規模なレンガ蔵にかつての圧搾機などが置かれ、その中で蔵人さんが作業しています
 
 
これほど大規模な赤レンガの蔵は、全国でも極めて珍しいとか。仕込み蔵は現在使用していないものも含め6番蔵まであります。仕込みや貯蔵蔵以外の蔵や建造物は1990年代から順次リノベーションされ、レストランや蕎麦屋、音楽ホール、ショップや資料を見学できる記念館として生まれ変わり、栗山町屈指の観光スポットとなりました
 
 
▲旧事務所だった「北の錦記念館」。1階は蔵の商品を販売するショップ、2階は資料館となっています
 
 
なぜ小さな町に大規模な蔵ができたのか。それは空知地方独特の歴史と深く結びついています。
 
 
▲手前は瓶詰工場などの倉庫群、奥は現在の事務所です
 
 
小林酒造蔵元・小林家は新潟県から札幌へ入植後、明治11(1879)年に初代・小林米三郎氏が酒造業を始めました。しかし、当時の蔵は木造であり北海道の寒さでは米が融けないという致命的な問題を抱えていました。
 
そして、仕込み水です。近隣の山から良質な水が湧く栗山町が清酒造りには最適だということで、明治33(1901)年に現在地へと移転します。
 
もちろん、水だけではなく、夕張など栗山町近隣に炭鉱を開いた北炭(北海道炭礦汽船)と交渉を重ね独占的に北炭に清酒を卸すことになります。この先見の明により炭鉱とともに蔵は大きな発展を遂げるのです。
 
炭鉱と鉄道の発展により空知地方には労働者が入ってきて人口は増大します。小林酒造も夕張炭鉱など大量需要に応えるため自前のレンガ工場も建設し明治期から大正にかけて耐寒性のあるレンガ蔵を次々と増築していきました。大量の石炭で蔵全体を温め大量の清酒を醸す。日本で最初に石炭を利用して酒造りを行った蔵となりました。
 
 
▲現在は酒道具資料館となっている蔵です。北海道らしいレトロモダンを感じさせます
 
 
明治からの昭和30年代まで石炭の時代が続き、小林酒造も戦後の最盛期は約13,000石(1,800ml瓶換算で130万本分)という大量の清酒を生産していました。そのほぼ100%が「三増酒(さんぞうしゅ)」と言われる、清酒に大量の醸造アルコールと糖類を添加した安酒です。現在の高級酒志向と違い、三増酒は全国的にも清酒のスタンダードでした。
 
炭鉱マンが1日の労働の疲れを晴らすための酒であり、そして厳寒の北海道でも凍らない酒を醸造する意味合いもあり質は二の次でした。中高年の方が日本酒は悪酔いするというイメージを拭いきれないのは、この三増酒を飲んだためだと思います。
 
 
▲9機ある「佐瀬式」と呼ばれる巨大な圧搾機。昭和30年代製作のもので、現在は使用していませんが、最盛期は1日3機ずつ動かし、24時間体制で酒を搾り続けても供給が間に合わなかったとか
 
 
また、戦前には焼酎を造っていた時期もあり、何と、焼酎粕などで、戦闘機に使う燃料を精製できるかという研究もしていたとか。今でいうバイオマス燃料の先駆けかも知れませんね!敗戦後はGHQに施設を貸し、簡易裁判所にもなったようです。
 
 
▲炭鉱の労働争議対策のためGHQが会議を行ったという部屋(北の錦記念館2階)
 
 

「炭鉱の酒」から「北海道の酒」への大転換

昭和40年代に入り、日本のエネルギーは石炭から石油に転換します。石炭産業は衰退の憂き目に遭い、空知地方の炭鉱は平成7(1995)年までにすべて廃鉱になります。これにより栗山町も人口流出が止まらず深刻な過疎化が進みます。当然、清酒の地元消費はじり貧となっていきました。
 
そこで、同蔵は創業130周年を迎えた平成20(2008)年に北海道でいち早く全量特定名称酒蔵となることを宣言、消費者のニーズに合わせ量から質へと高級酒生産に切り替えました。その2年後の平成22(2010)年には、すべて北海道産米を使用した酒造りに転換します。
 
 
▲蔵人さんが甑(こしき)で炊いた蒸米を放冷機に乗せています。
 
 
▲蒸米はホースで運ばれ醪タンクに投入されます
 

もちろん当時、全量道産米で醸す蔵は、北海道初。水も米も人もすべてを「北海道」で醸す真の“北海道の地酒”の先駆者となったのです。蔵元に息づく先進性は現在も脈々と受け継がれています。
 
 
▲蔵を統括する小林精志専務(写真左)と同蔵に30年以上勤務し杜氏10年目となる南修司杜氏
 
 
生産石高は現在1,200石と最盛期の約10分の1に。かつては蔵存続のために生産量を増やし、現在は生き残るために量を減らし勝負をかけました。大胆かつ画期的な転換は北海道の日本酒ファンには好意的に受け止められ、「北の錦」の名も全北海道的に認知されました。
 
小林家のフロンティア精神を受け継ぎ、蔵の方針や味のコンセプトを実質的に決めているのは小林精志専務です。「ウチのような小さな町の蔵が東京で受けるような酒を造っても意味がありません。より地元に根付いたお酒でいいと思います」と話し、いち早く北海道化を進めてきました。
 
現在の「北の錦」は蔵独特のフルーティーさがあり、派手過ぎず、北海道の清酒としては柔らかな口当たりが印象的。食中酒として幅広く利用できます。
 
小林専務がオススメしてくれたのが、「冬花火 純米大吟醸」と「北斗随想 純米吟醸」でした。
 
 
▲蔵元オススメの「冬花火」と「北斗随想」
 
 
「北斗随想は蔵の味を知ってもらう入口の酒です。冬花火は常温でも冷やでも燗酒でもいける純米大吟醸がコンセプトです。見つけたらぜひ飲んでみて欲しいです」と話します。
 
北斗随想は量から質への先鞭をつけた記念すべき銘柄。蔵のフルーティーな面の酒質を存分に味わえます。冬花火は清酒用の培養酵母ではなく、蔵に住み着いている野性の「蔵付き酵母」を使用し独特の酸味が特徴です。大吟醸ながら幅広い温度帯で映える酒質で、大吟醸はキンキンに冷やして呑む!という先入観を打ち破ってくれる逸品。
 
 
▲「北斗随想」の醪です。吟風を45%精米という贅沢なスペックです。元気に泡立っていますね
 
 
▲記念館のショップでは蔵元限定酒を試飲することもできます。
 
 
▲蔵元限定の商品です。写真左端の「栗山英樹」は北海道日本ハムファイターズ監督の記念酒。栗山監督は栗山町に自宅と野球場を所有しています
 
 
小林酒造の酒を堪能したいなら創業地である札幌市の直営店「まる田 七番蔵」がオススメです!「蔵が出している銘柄のほとんどを飲めますし、メニューにないお酒もあります」と小林専務。札幌でも日本酒に合う料理と「北の錦」で至福の時を過ごしては?
 
 

地元の「農」にこだわり日常の食卓に寄り添う「農家の酒」へ

「北海道の地酒」として揺るぎない地位を築いた小林酒造ですが、小林専務はより深く地元に根付いた酒造りを行おうと模索中です。「進み過ぎた資本主義によって都会の人は疲れていると感じます。栗山町の農家さんが作るような食べ物、味噌や米や漬物、そんな農家の食卓に合う様な酒造りができないかと思っています」と話します。
 
 
▲酒造りの道具を洗う蔵人さん。もうもうと出る湯気が寒造りを印象付けます
 
 
現在、蔵人さん11人中8人が農家さん。そのうち2人が酒造好適米(酒米)も生産し、同蔵の酒造りにも使用しているという、まさに「農」と結びついた蔵です。

後継者不足に加えTPP(環太平洋パートナーシップ協定)が発行され、北海道の根幹である農業、酪農業など一次産業は厳しい現実にさらされます。

清酒も米と水を生かし微生物の力を借りてできる「農」と自然に深く結びついた酒で、他人ごとではありません。
 
「いかに農村とイメージを一致させた酒を造れるか。農業の食卓に合う田舎酒を造れればと思っています」とも話します。

現在は栗山町とともに地元農家の女性などが作る漬物や味噌を作る会などを主催し、札幌でも月1回は会を行っているとか。そんな「農」に合うお酒ができたら、都会の人が飲むとホッとするのかも知れません。


▲仕込みのない時期は農家として働く蔵人さんたち。彼らの生活からのアイデアも新しい「北の錦」の力になるでしょう
 

北海道の酒から「栗山の酒、農の酒」へと“深化”。これが平成が終わり新時代を迎える「北の錦」のテーマだと感じました。
 
“深化”のきっかけは2年前、小林専務自身が胃癌にかかったことでした。胃を半分切除し一時は18㎏も体重が落ち、「それまで食べていた添加物だらけのものが口に入らなくなりました」と言います。それが、農家の方が日常に作る無添加の漬物や味噌汁などの食事は食べられたとか。「体は正直だなと思いました」。


▲「錦水庵」は蔵の仕込み水と道産そば粉を使用した手打ち蕎麦を提供。元は昭和元年建築の社員の民家で、こちらも有形文化財です


そこから農村の蔵として「農家の日常の食事に合うお酒」のコンセプトを思いついたとか。地元農業を蔵が日本酒を通じて活性化させる歯車となり、「日本の原点である里山のイメージ」を維持していく。

「今やらなければ北海道の食や農業、地方が維持できなくなってしまうと思います」と専務自身も危機感を抱いています。
 
 
▲貴重な蔵も見学だけではなく、蔵人の気分を味わえる体験施設などにするアイデアもあるようです
 
 
現状に留まらず新たな試みを続け、模索する小林酒造。近い将来、また周囲を驚かす「北の錦」が生まれるのかもしれません。
この記事をSNSでシェアしよう!
  • いちはやく“北海道の酒”にチャレンジした「小林酒造株式会社」―そして“深化”は新たなステージへ~北海道の酒蔵シリーズ(5)
Title
Close