根室や知床に近い別海(べつかい)町には、明治・大正・昭和時代の開拓の歴史と交通史を伝える史跡や文化財が残っています。代表的な3施設、「旧奥行臼駅逓所(きゅう おくゆきうす えきていじょ)」と「旧国鉄標津線 奥行臼駅」、「旧村営軌道風蓮線 奥行臼停留所」を紹介します。
目次
・奥行臼は交通の要衝
・国指定史跡「旧奥行臼駅逓所」
・別海町指定文化財「旧国鉄標津線 奥行臼駅」
・別海町指定文化財「旧村営軌道風蓮線 奥行臼停留所」
奥行臼は交通の要衝
各施設があるのは、
ラムサール条約登録湿地の風蓮湖に近い別海町南部にある奥行地区(以前は奥行臼と呼ばれていました)。
酪農が盛んな土地柄です。
車では中標津空港から約45分で行くことができ、
根室市街地は約45分、知床羅臼の街中までは約90分です。

この地区は明治時代中期に開拓が始まりました。
当時の基幹産業は薪炭業と牧畜業です。
開拓を後押ししたのは、1910(明治43)年に誕生した駅逓所。
港町の根室と別海沿岸部や内陸部を結ぶ交通の要衝となり、
入植者をはじめ、人やモノが集まるようになりました。
ちなみに駅逓所とは、明治時代から昭和時代初期にかけて北海道全域に設置された施設。
入植者や旅行者が安全に旅をできるよう、宿泊と休憩、人馬の貸出などをしていました。
江戸時代の五街道などにあった宿場のようなイメージに近いかもしれません。
1930(昭和5)年に駅逓所は廃止されましたが、
その後1933(昭和8)年に国鉄標津線の奥行臼駅が開業し、北海道各地と鉄路で結ばれました。
1963(昭和38)年になると、
地域住民の足としてととともに生産された生乳などを各地へ運ぶため、
地域住民の足としてととともに生産された生乳などを各地へ運ぶため、
奥行臼駅を起点に別海村営軌道風蓮線(※当時別海町は別海村でした)が開業。
奥行臼駅は乗換駅であるとともに、
物資輸送の中継点として重要な役割を果たしてきました。
ただ、道路網の整備などにより別海村営軌道風蓮線は1971(昭和46)年に廃止され、
国鉄標津線も1989(平成元)年に廃止されました。
現在では、根室市方面から別海町中心部や摩周湖がある弟子屈(てしかが)町を結ぶ国道243号と、
別海町沿岸部とオホーツク海沿いを経由して網走市へ至る国道244号が交わり、
各地へ向かう道路の分岐点です。
奥行は100年以上前から、今も昔も交通の要衝に変わりありません。
それでは、各史跡・文化財を少しのぞいてみましょう。
各施設間は歩いて2~3分程度なので、散歩気分で見学して回ることができます。
各施設間は歩いて2~3分程度なので、散歩気分で見学して回ることができます。
国指定史跡「旧奥行臼駅逓所」
「旧奥行臼駅逓所」は、かつて別海町内に9か所あった駅逓所のうち唯一現存する施設。
国指定史跡とともに北海道指定有形文化財にも指定されています。
現在残る施設は、1920(大正9)年に増築された2階建ての北棟と、
1941(昭和16)年に建設された中央棟と南棟です。
この施設を管理していたのは、新潟からこの地へ入植した山崎藤次郎氏。
ナラの原生林を開拓し軍馬の育成をしつつ、自宅兼駅逓所として開設しました。
この施設は駅逓所が廃止された後もしばらく旅館として使用され、
その後山崎氏の子孫が近年まで住み続けていました。
そのため、当時の建物や調度品類がそのまま残っているそうです。
とはいえ約100年前の建物にて劣化していたため、
耐震補強工事も兼ね約3年かけて修復工事が行われました。
ちなみに取材した日は修復工事を終えた直後の特別公開時の様子にて、調度品などの展示はありません。
公開再開後は、館内に昔の民具や解説パネルなどが多数展示され、
建物の風情とともに往時の生活文化を垣間見ることができます。
公開時期は5月1日から11月3日。冬季は休館です。
別海町指定文化財「旧国鉄標津線 奥行臼駅」
「旧国鉄標津線 奥行臼駅」は、路線廃止前に近い形で復元された施設。
国鉄標津線は中標津駅~厚床駅間と標茶駅~中標津駅~根室標津駅間の2区間があり、
奥行臼駅は前者の区間の中間駅でした。
ここに保存や復元されている施設は、旧駅舎のほか島式ホームや石炭小屋など。
廃線後に撤去されていた線路を敷設するなどし、往時の姿に近い状態に復元されています。
奥行臼駅は昭和時代後期まで旅客営業とともに貨物営業もしていて、
周辺の牧場から集荷された生乳や薪炭などの輸送の拠点となりました。
現在その役目は車へと変わり鉄道はなくなりましたが、
半世紀以上にわたり地域の発展の一翼を担ってきました。
標津線とともにこの地での人やモノの輸送で活躍したのが、このあと紹介する旧村営軌道風蓮線です。
別海町指定文化財「旧村営軌道風蓮線 奥行臼停留所」
旧村営軌道風蓮線は、奥行臼駅を起点に上風蓮駅まで結んでいた約13kmの簡易軌道。
簡易軌道は戦前では殖民軌道と呼ばれていました。線路幅が約76cmしかない鉄道です。
沿線にとっては唯一の交通手段で、
冬季間の風雪にも耐える当時としては近代的な設備を導入していたそうです。
開業したのは戦後になってからなので、
モータリゼーションの到来と道路整備が進捗したこと、
補助金が打ち切られたことなどによりわずか7年という短命に終わりました。
営業期間が短かったとはいえ、
地域住民にとっては大切な足であり、生活物資や生産物資の輸送で活躍。
一大酪農地帯である沿線地域から集められた生乳がミルクゴンドラ車で奥行臼停留所まで運ばれ、
停留所のクレーン設備でミルクタンクをトラックや国鉄標津線の汽車へ載せ替えて輸送していました。
停留所施設を見学できる時期もほか施設と同様、5月1日から11月3日です。
長年交通の要衝であり続ける別海町の奥行には、
開拓の歴史の一コマを紹介する史跡や文化財が複数あります。
そのどれもが、往時の様子を偲ぶ風情ある佇まい。
じっくり見学していると、いつの間にかいい時間になります。
駅逓所、国鉄駅、村営軌道停留所という交通史を1か所で感じることができる貴重なエリア。
明治・大正・昭和の移り変わりを見て楽しめます。
取材・文・写真/北海道Likersフォトライター nobuカワシマ
https://www.no-1-travel.com/
こちらも合わせてチェック!
記事で紹介したスポット
Writer