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公開 | nobuカワシマ

別海町に残る開拓の史跡~奥行臼の駅逓所と国鉄駅と村営軌道駅~




根室や知床に近い別海(べつかい)町には、明治・大正・昭和時代の開拓の歴史と交通史を伝える史跡や文化財が残っています。代表的な3施設、「旧奥行臼駅逓所(きゅう おくゆきうす えきていじょ)」と「旧国鉄標津線 奥行臼駅」、「旧村営軌道風蓮線 奥行臼停留所」を紹介します。

 

目次

・奥行臼は交通の要衝
・国指定史跡「旧奥行臼駅逓所」
・別海町指定文化財「旧国鉄標津線 奥行臼駅」
・別海町指定文化財「旧村営軌道風蓮線 奥行臼停留所」
 
 

奥行臼は交通の要衝 

各施設があるのは、
ラムサール条約登録湿地の風蓮湖に近い別海町南部にある奥行地区(以前は奥行臼と呼ばれていました)。
酪農が盛んな土地柄です。
 
車では中標津空港から約45分で行くことができ、
根室市街地は約45分、知床羅臼の街中までは約90分です。
 
 
▲奥行はここ!(Google map)▲奥行はここ!(Google map)
 
 
この地区は明治時代中期に開拓が始まりました。
当時の基幹産業は薪炭業と牧畜業です。
 
開拓を後押ししたのは、1910(明治43)年に誕生した駅逓所。
港町の根室と別海沿岸部や内陸部を結ぶ交通の要衝となり、
入植者をはじめ、人やモノが集まるようになりました。
 
 
「旧奥行臼駅逓所」の茶の間と仏間。2018(平成30)年9月に修復工事が完了しました▲「旧奥行臼駅逓所」の茶の間と仏間。2018(平成30)年9月に修復工事が完了しました
 
 
ちなみに駅逓所とは、明治時代から昭和時代初期にかけて北海道全域に設置された施設。
入植者や旅行者が安全に旅をできるよう、宿泊と休憩、人馬の貸出などをしていました。
江戸時代の五街道などにあった宿場のようなイメージに近いかもしれません。
 
1930(昭和5)年に駅逓所は廃止されましたが、
その後1933(昭和8)年に国鉄標津線の奥行臼駅が開業し、北海道各地と鉄路で結ばれました。
 
 
「旧国鉄標津線 奥行臼駅跡」。駅舎やホーム、線路などが保存展示されています▲「旧国鉄標津線 奥行臼駅」。駅舎やホーム、線路などが保存展示されています

 
1963(昭和38)年になると、
地域住民の足としてととともに生産された生乳などを各地へ運ぶため、
奥行臼駅を起点に別海村営軌道風蓮線(※当時別海町は別海村でした)が開業。

奥行臼駅は乗換駅であるとともに、
物資輸送の中継点として重要な役割を果たしてきました。
 
 
「別海村営軌道風連線 奥行臼停留所」の施設内には、乗換駅だった奥行臼駅を再現した模型が展示されています▲「別海村営軌道風蓮線 奥行臼停留所」の施設内には、乗換駅だった奥行臼駅を再現した模型が展示されています
 
 
細部にわたりなかなかリアルです▲細部にわたりなかなかリアルです

 
ただ、道路網の整備などにより別海村営軌道風蓮線は1971(昭和46)年に廃止され、
国鉄標津線も1989(平成元)年に廃止されました。
 
現在では、根室市方面から別海町中心部や摩周湖がある弟子屈(てしかが)町を結ぶ国道243号と、
別海町沿岸部とオホーツク海沿いを経由して網走市へ至る国道244号が交わり、
各地へ向かう道路の分岐点です。
 
奥行は100年以上前から、今も昔も交通の要衝に変わりありません。
 
それでは、各史跡・文化財を少しのぞいてみましょう。
各施設間は歩いて2~3分程度なので、散歩気分で見学して回ることができます。
 
 
別海町教育委員会の戸田さん(右)と加藤さん(左)に案内してもらいました▲別海町教育委員会の戸田さん(右)と加藤さん(左)に案内してもらいました

 

国指定史跡「旧奥行臼駅逓所」 

「旧奥行臼駅逓所」は、かつて別海町内に9か所あった駅逓所のうち唯一現存する施設。
国指定史跡とともに北海道指定有形文化財にも指定されています。
 
現在残る施設は、1920(大正9)年に増築された2階建ての北棟と、
1941(昭和16)年に建設された中央棟と南棟です。
 
 
手前か南棟、中央棟が続き、奥の白っぽい建物が北棟。すべて中でつながっています▲手前から南棟、中央棟が続き、奥の白っぽい建物が北棟。すべて中でつながっています
 
 
南棟と中央棟は柾葺屋根の上に鉄板を葺いていますが、北棟は柾葺屋根。棟飾りもあります▲南棟と中央棟は柾葺(まさぶき)屋根の上に鉄板を葺いていますが、北棟は柾葺屋根。棟飾りもあります
 

この施設を管理していたのは、新潟からこの地へ入植した山崎藤次郎氏。
ナラの原生林を開拓し軍馬の育成をしつつ、自宅兼駅逓所として開設しました。
 
この施設は駅逓所が廃止された後もしばらく旅館として使用され、
その後山崎氏の子孫が近年まで住み続けていました。
そのため、当時の建物や調度品類がそのまま残っているそうです。
 
 
柱に歴史の重みを感じます▲柱に歴史の重みを感じます
 

とはいえ約100年前の建物にて劣化していたため、
耐震補強工事も兼ね約3年かけて修復工事が行われました。
 
 
解体修理をして綺麗に蘇った北棟1階客室。冬は氷点下20度近くになる土地柄、各客室に炉があったそうです▲解体修理をして綺麗に蘇った北棟1階客室。冬は氷点下20度近くになる土地柄、各客室に炉があったそうです
 
 
北棟2階の客室▲北棟2階の客室
 
 
館内の居間。かつてテレビドラマのロケで壁を真っ黒に塗られてしまったものの、修復工事で黒色を除去して昔の姿に戻ったそうです▲館内の居間。かつてテレビドラマのロケで壁を真っ黒に塗られてしまったものの、修復工事で黒色を除去して昔の姿に戻ったそうです
 

ちなみに取材した日は修復工事を終えた直後の特別公開時の様子にて、調度品などの展示はありません。
公開再開後は、館内に昔の民具や解説パネルなどが多数展示され、
建物の風情とともに往時の生活文化を垣間見ることができます。
 
公開時期は5月1日から11月3日。冬季は休館です。

 

別海町指定文化財「旧国鉄標津線 奥行臼駅」 

「旧国鉄標津線 奥行臼駅」は、路線廃止前に近い形で復元された施設。
国鉄標津線は中標津駅~厚床駅間と標茶駅~中標津駅~根室標津駅間の2区間があり、
奥行臼駅は前者の区間の中間駅でした。
 
 
昭和時代初期の風情が残る木造駅舎。5月から10月までの公開時は建物内にも入ることができます▲昭和時代初期の風情が残る木造駅舎。一般公開時は建物内にも入ることができます
 
 
切符売り場。時代が止まったまま▲切符売り場。時代が止まったまま
 
 
元駅事務所の中も時代が止まったまま(こちらは通常施錠されていて入ることができません。特別に見せてもらいました)▲元駅事務所の中も時代が止まったまま(こちらは通常施錠されていて入ることができません。特別に見せてもらいました)
 

ここに保存や復元されている施設は、旧駅舎のほか島式ホームや石炭小屋など。
廃線後に撤去されていた線路を敷設するなどし、往時の姿に近い状態に復元されています。
 
 
こうして見ると今にも列車がやってきそう!?▲こうして見ると今にも列車がやってきそう!?
 
 
線路跡はフットパスとしても活用されていて、両隣の駅だった別海駅や厚床駅の近くまで各10数km歩いていくことができます▲線路跡はフットパスとしても活用されていて、両隣の駅だった別海駅や厚床駅の近くまで各10数km歩いていくことができます
 

奥行臼駅は昭和時代後期まで旅客営業とともに貨物営業もしていて、
周辺の牧場から集荷された生乳や薪炭などの輸送の拠点となりました。
現在その役目は車へと変わり鉄道はなくなりましたが、
半世紀以上にわたり地域の発展の一翼を担ってきました。
 
標津線とともにこの地での人やモノの輸送で活躍したのが、このあと紹介する旧村営軌道風蓮線です。
 
 

別海町指定文化財「旧村営軌道風蓮線 奥行臼停留所」 

旧村営軌道風蓮線は、奥行臼駅を起点に上風蓮駅まで結んでいた約13kmの簡易軌道。
簡易軌道は戦前では殖民軌道と呼ばれていました。線路幅が約76cmしかない鉄道です。
 
 
線路跡はフットパスとしても活用されていて、両隣の駅だった別海駅や厚床駅の近くまで各10数km歩いていくことができます▲自走客車と呼ばれる旅客用の車両が展示保存されています
 

沿線にとっては唯一の交通手段で、
冬季間の風雪にも耐える当時としては近代的な設備を導入していたそうです。
 
 
緑色の機関車と、ミルクゴンドラ車と呼ばれる貨車も保存展示されています▲緑色の機関車と、ミルクゴンドラ車と呼ばれる貨車も保存展示されています
 

開業したのは戦後になってからなので、
モータリゼーションの到来と道路整備が進捗したこと、
補助金が打ち切られたことなどによりわずか7年という短命に終わりました。
 
 
駅舎詰所跡。この中に軌道の歴史を紹介する資料や模型などが展示されています▲駅舎詰所跡。この中に軌道の歴史を紹介する資料や模型などが展示されています
 

営業期間が短かったとはいえ、
地域住民にとっては大切な足であり、生活物資や生産物資の輸送で活躍。
 
一大酪農地帯である沿線地域から集められた生乳がミルクゴンドラ車で奥行臼停留所まで運ばれ、
停留所のクレーン設備でミルクタンクをトラックや国鉄標津線の汽車へ載せ替えて輸送していました。
 
 
駅舎詰所跡に展示されているミルク缶。左の青文字の缶が明治乳業のもので、右の赤文字の缶が雪印乳業のものだそうです▲駅舎詰所跡に展示されているミルク缶。左のうっすらと青文字が残る缶が明治乳業のもので、右の赤文字の缶が雪印乳業のものだそうです
 
 
機関車の方向転換をするターンテーブル跡と、背後には車庫跡も残っています▲機関車の方向転換をするターンテーブル跡と、背後には車庫跡も残っています
 

停留所施設を見学できる時期もほか施設と同様、5月1日から11月3日です。
 
 
長年交通の要衝であり続ける別海町の奥行には、
開拓の歴史の一コマを紹介する史跡や文化財が複数あります。
そのどれもが、往時の様子を偲ぶ風情ある佇まい。
じっくり見学していると、いつの間にかいい時間になります。
 
駅逓所、国鉄駅、村営軌道停留所という交通史を1か所で感じることができる貴重なエリア。
明治・大正・昭和の移り変わりを見て楽しめます。
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