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公開 | nobuカワシマ

SLがある湧別町の「計呂地交通公園」は地元の人と旅人が集う地域の要




オホーツク地方の湧別(ゆうべつ)町にある「計呂地(けろち)交通公園」は、旧国鉄湧網(ゆうもう)線の計呂地駅をそのまま保存した公園。
SLに連結した客車と元保線区の詰所に宿泊することもできます。
列車はやってこなくても全国から多くの旅人と地元の人たちが集い、今も昔も地域の要です。

 

目次

・計呂地交通公園とは? 
・計呂地の今昔物語~地元の方にインタビュー
・保存されたSLや駅舎などは古くても小綺麗
・計呂地交通公園へ宿泊するには?
・今も昔も駅があると人が集う



 

 

計呂地交通公園とは?

計呂地交通公園は、かつて中湧別駅(廃駅)と網走駅を結んでいた旧国鉄湧網線の計呂地駅跡。
1987(昭和62)年に湧網線廃止とともに駅も廃止されましたが、
その後計呂地交通公園として整備されました。
旅行者には簡易宿泊施設として、
地元の人には集会所兼、ゲートボール場やパークゴルフ場として利用されています。


オホーツク海沿岸を通る国道238号沿いにあります▲オホーツク海沿岸を通る国道238号沿いにあります


湧別町の計呂地交通公園へ行くには、
町内にある「道の駅 愛ランド湧別」からは車で5分程度、
女満別空港からなら車で70分程度です。

 

計呂地の今昔物語~地元の方にインタビュー

この公園を管理しているのは地元のみなさん。
計呂地自治会が指定管理者として、清掃や宿泊受付などをしています。

自治会メンバーのうちの一人、石渡さんにお話しを伺いつつ案内してもらいました。


「昔の計呂地駅は遊び場でもあり地域の中心でした」と語る石渡さん▲「昔の計呂地駅は遊び場でもあり地域の中心でした」と語る石渡さん


石渡さんは東京生まれで、1945(昭和20)年の東京大空襲の直前に母親の実家があった計呂地へ疎開。
それ以来生活拠点は計呂地で、常呂町(現在の北見市)教育委員会での勤務を経て、現在は自治会を通じ計呂地交通公園の管理をしています。


元駅舎が公園の管理棟。入口はこの裏手です▲元駅舎が公園の管理棟。入口はこの裏手です


計呂地駅が開業したのは1935(昭和10)年。
この頃から昭和30年代頃まで、計呂地地区周辺では林業が盛んだったそうです。

道路整備や車の普及がまだ及んでいなかった時代、
湧網線は地域の人たちの足であるとともに貨物輸送の要で、計呂地駅は地域の中心拠点でした。


現在はゲートボール場などになっている駅裏の広い土地。かつて木材が野積みされていたことも▲現在はゲートボール場などになっている駅裏の広い土地。かつてこの付近に貯木場があったそうです


その後モータリゼーションが訪れ、乗客が減ったうえ貨物の取り扱いがなくなり、
1987(昭和62)年に路線も駅も廃止されました。


晩年の計呂地駅では、赤字を埋める増収策として入場券購入者にホタテ貝のマスコットをプレゼントしていて好評だったようです(計呂地交通公園内の展示資料より)▲晩年の計呂地駅では、赤字を埋める増収策として入場券購入者にホタテ貝のマスコットをプレゼントしていて好評だったようです(計呂地交通公園内の展示資料より)


  計呂地の人たちは鉄道を利用して入植してきた。
  駅は地域の中心で、住民が集う場だった。
  廃止された駅を記念として、かつ集う場として残せないだろうか。

地元の人たちはそう考え、役場へ保存してほしいと要請。

湧別町によりゲートボール場やパークゴルフ場などを併設した公園として整備され、
1989(平成元)年に計呂地交通公園として、駅施設が保存展示されることになりました。





かつて計呂地には約270戸の住宅があったそうですが、現在は約60戸。
人口減少が続いているものの、地域の中心ということには変わりなく、
現在も日中は近隣の人たちがここによく集うそうです。

 

保存されたSLや駅舎などは古くても小綺麗

地元の人たちが日中集う場所は、敷地内にある元保線区詰所。
かつて線路の保守点検をしていた保線区の人たちの休憩所です。


室内には地域住民のみなさんが持ち寄った湯のみや皿などがあり、共同で使っているそうです▲室内には地域住民のみなさんが持ち寄った湯のみや皿などの食器類や鍋などの調理器具類、冷蔵庫などがあり、共同で使っているそうです


この建物は現在「駅長の家」と呼ばれています。
日中は地域の方々の集会所、夜は旅人のための簡易宿泊施設として活用。
昼間に住民が団らんする部屋は、夕方になると旅人たちが挨拶や旅の情報交換をする場になります。

宿泊者は水道やガスコンロのほか住民が持ち寄った食器類を使えるうえ、
洗濯機や有料のコインシャワーも利用可能。


駅長の家の就寝スペースはこちら。基本は寝袋を各自持参ですが、寝袋レンタルもあります▲駅長の家の就寝スペースはこちら。基本は寝袋を各自持参ですが、寝袋レンタルもあります


建物は古いものの手入れや掃除は行き届き、備品類も必要最低限のものは揃っています。
これで1泊大人500円(子ども250円)。
なかなかお得!

計呂地交通公園にはもう一か所宿泊できる施設があります。
それは、客車の中。





SLにつながった2両の客車のうち1両は車内が畳敷きになっていて、
1人約1畳半のスペースを利用することができます。


定員は9名。一昔前に走っていた一部夜行列車に連結されていたカーペット車のようなイメージかも!?▲定員は9名。一昔前に走っていた夜行列車の一部に連結されていたカーペット車のようなイメージかも!?


こちらも激安で、1泊大人300円(子ども150円)。

駅長の家と同様、列車も古さは感じますが、しっかり手入れされています。
むしろノスタルジックな雰囲気で“味がある”と好印象かもしれません。

ちなみにもう一両の客車は昔の座席などがそのまま残っています。
この車両はオハ62型客車といい、日本国内で現存しているのはここだけなんですって!
古い映画の世界に迷い込んだかのような雰囲気で、旅情を感じます。


 








客車内での飲食はNGですが、汽車旅気分を満喫できること間違いありません。
貴重な車両で佇んでみませんか?

 

計呂地交通公園へ宿泊するには?

駅長の家、もしくは客車に宿泊する際に予約は不要。
というより、予約不可。宿泊当日の先着順です。

管理人がいる16時から19時までの間がチェックインできる時間。
この間での先着順で宿泊ができるという仕組みです。


宿泊者は駅長の家の中にあるシャワーとともに、屋外にある五右衛門風呂も利用可能▲宿泊者は駅長の家の中にあるシャワーとともに、屋外にある五右衛門風呂もセルフにて利用可能


なお、宿泊できる期間は毎年5月1日から10月31日まで。

お盆時期を中心に7、8月が宿泊者数のピークで、
毎年約650~700人の利用者がいるうち、半数以上の約350人がこの2か月間に集中。
確実に泊まりたいという人は、チェックイン開始時間に合わせて訪問したほうがよいかもしれませんね。

宿泊の受付は、公園管理棟兼、鉄道資料室となっている元駅舎で。


この元駅舎も“いい味”出しています▲この元駅舎も“いい味”出しています


1958(昭和33)年に建てられたという趣ある建物もレトロ感があって惹かれますが、
室内に展示されている駅名板や行先板、時刻表や切符など、湧網線などの鉄道資料にも注目。
鉄道があった証と時代の変遷を感じられます。ちょっとした社会科見学の気分です。


いつの時代のものでしょう?だいぶ古い料金表が展示されていました▲いつの時代のものでしょう?だいぶ古い料金表が展示されていました


宿泊をしなくても、駅施設や列車の見学は自由。
ただし、列車内と鉄道資料館内は管理人がいる時にのみ見学が可能です。


SLの運転台も開けてもらいました。機関士気分!▲SLの運転台も開けてもらいました。機関士気分!


SLの運転席からの眺め。前方視界悪っ!機関士のみなさん、これで運転していたのですね。驚きです▲SLの運転席からの眺め。前方視界悪っ!機関士のみなさん、これで運転していたのですね。驚きです


屋外は自由に見学可能です▲屋外は自由に見学可能です

 

今も昔も駅があると人が集う

駅はかつて、地域の玄関として必然的に住民が集う場でした。
現在、日中は地域の人たちが団らんする場として、夜は旅人たちが交流する場として人々が集まります。
駅があると、今も昔も人が集うのかもしれません。





旧計呂地駅は、地域の人たちが保存を要望し、計呂地交通公園として長年維持管理されてきました。
駅への想いと努力に敬意を払いつつ、見学したり宿泊したり、ひと昔前の風情を楽しみに訪れてみましょう!
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