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公開 | チバタカコ

栗山町の谷田製菓、冬限定の「大甞飴」と「日本一きびだんご」

栗山町、谷田製菓の日本一きびだんごと大甞飴


11月~2月、冬期限定販売の「大甞飴(たいしょうあめ)」と、平べったい板状の「日本一きびだんご」を知っていますか?

どちらも、栗山町にある谷田製菓のお菓子です。いま、キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!と叫んだのは、間違いなく北海道人ですね。

 

目次

・冬期限定販売の「大甞飴」
・大甞飴ができるまで
・道産子が思い浮かぶきびだんごは丸ではなく短冊形。それは谷田のきびだんご
・谷田製菓~大甞飴ときびだんごと、時々、豆腐とエノキダケ
・アスリートのパワーフード、非常食として注目


 

11月~2月、冬期限定販売の「大甞飴」

「大甞飴(たいしょうあめ)」は、栗山町にある谷田製菓が大正4(1915)年から製造・発売している飴で、2018年で103年目を迎えるロングセラー商品です。

気温が高いと柔らかくなるため、寒い時期しかつくらない、11月~2月、冬期限定販売のお菓子。


谷田製菓の大甞飴▲大甞飴。タテが約13cm、ヨコが約10.5cm、厚さ約7㎜の平べったい板状


大甞飴、冬期菓子の王▲冬のお菓子の王様!


初めて見る人は「ん?飴?この平べったいのが?」と思うでしょう。

飴と言っても、大阪のおばちゃんが「あめちゃん」と言っているものとは違います。キャンディのように、口の中にポンと入れて、コロコロ転がしながらなめて、小さくなってきたら、ガリガリ噛んで…ではないのです。


オブラートに包まれた大甞飴▲一見、のし餅みたいに見えますが、飴です。


どうやって食べるかというと、平べったい板状の飴をハンマーや手で割って食べます。


大甞飴をハンマーで割る▲ハンマーや手で割ります


味は、ほんのりとした甘さの中に、ゴマの風味が香ばしく混ざり合う、とても素朴な味。

口に入れると、すぐに表面が柔らかく溶けてくる感じがします。
最初だけ、時々オブラートが口の中にねっぱりますが、すぐに溶けるので気にしないで。


割った大甞飴▲オブラートに包まれているので、そのまま食べます


なめていると、ちょっと硬めのキャラメルやヌガーのような感じになってきます。

ここで、注意したいのは、歯にかぶせものがある人!柔らかくなってくると、ついつい噛みたくなってきますが、調子に乗って噛むと、たまぁに持って行かれます。
北海道Likers編集長チバタカコ、その経験者です。なので、気を付けて。

口の中の温度でゆっくり舐めながら溶かして食べる…そんなイメージで味わうのが大甞飴です。

谷田製菓の工場で常時製造しているのは「きびだんご」です。が、10月下旬頃からきびだんごをいったんストップして、大甞飴をつくり始めます。

ある程度つくり、在庫がなくなってきたら、また追加でつくる、という作業をシーズン中何度か繰り返します。

北海道Likersは、冬しかつくらない大甞飴の製造日に、運良く取材することができました。

 

大甞飴ができるまで

 では、大甞飴ができるまで、お見せしましょう。


栗山町にある谷田製菓の工場▲栗山町にある谷田製菓の工場


大甞飴の原材料は、麦芽水飴、砂糖、ゴマ、だけ。


大甞飴の原料、砂糖と麦芽水飴を煮詰める▲砂糖と麦芽水飴を煮詰めます


大甞飴、煮詰めたものをひしゃくですくう▲煮詰めたものをひしゃくですくって…


大甞飴のもとをつくる▲飴の素をつくります。白いのは、先に仕上がった大甞飴を成型した時に出た欠片。もう一度練り直すことができるので、全く無駄がありません


大甞飴のもとにゴマを加える▲ゴマを加えて…


大甞飴のもと▲手で練り混ぜながら、おおざっぱな飴の素をつくります


 
▲それを、空気を含ませながら機械で練ります。昔はこれを手作業でやっていたそうです。相当な重労働だったはず


舐めていくうちに、優しく、じんわり溶けていくあの感覚は、この空気を含ませながら練る作業があったからなのだと、初めて知りました。


大甞飴のもとを定量分ける▲練り上がった飴の素を定量に分けて


大甞飴のもとを伸ばす▲手作業で伸ばしていきます。のし餅を伸ばすような感じです


大甞飴を機械で薄くする▲機械でさらに薄く伸ばして


大甞飴を四角に切る▲四角形に切ります


大甞飴を乾燥させる▲乾燥させてできあがり


大甞飴を手作業で包む▲板状になった大甞飴は、一つずつ丁寧に手作業でオブラートに包み包装します。作業をしていたのはこの道20年超のベテラン。は、早い!


で、完成すると、こうなります。


できあがった大甞飴


一口サイズの大甞飴▲一口サイズの大甞飴もあります。一口サイズと言っても、5㎝くらいあるんですけどね。包み紙のデザインを活かすと、最小サイズの限界がこれくらいになったのだとか


大正4年から発売しているから「大甞飴」と思ったらそうではなく、「大甞飴」の由来は、大正天皇の即位の儀式「大嘗祭(だいじょうさい)」だそうです。


大甞飴の商標登録▲大甞飴の商標登録。大甞飴の包装紙のデザインも味も、ずっと変わらず継承されています


キャンディのようなあめちゃんではありませんが、道産子家庭では、祖父母からその子、孫まで、幅広い世代に愛されている飴です。

 

道産子が思い浮かぶきびだんごは丸ではなく短冊形。
それは谷田の「日本一きびだんご」 

全国的に「きびだんご」と言ってイメージするのは、桃太郎が家来たちに配った丸い団子だと思うのですが、道産子にとってのきびだんごは、細長い短冊形。

そう、谷田の「日本一きびだんご」です。


谷田製菓のきびだんご▲谷田製菓のきびだんご。1本の大きさは約13㎝×4㎝


子どもの頃から、きびだんごといえばこれ!なので、丸いきびだんごは、あくまでも桃太郎の物語に出てくるアイテムとしか思えません。

谷田のきびだんごの誕生は大正12(1923)年。同年9月、関東大震災が発生し、きびだんごが保存食になることから「起きるに備え、助け合って団結する」という意味も込め、「起備団合」という当て字で発売されたそうです。

きびだんごの原材料は、麦芽水飴、砂糖、もち米 生餡。餡には、トラ豆を使っています。小豆を使ってみたこともあるそうですが、上品すぎて「なんか違う」となったとか。


昔のきびだんごの包装紙▲昔のきびだんごの包装紙。「きびだんボ」と「ボ」の字に見えるのは、「古」という漢字の旧字


昔のきびだんごの包装紙2▲こんなデザインの時代もありました


現在のきびだんごの包み紙▲現在のきびだんご


谷田のきびだんごの味は、ベタベタした甘さはなく、噛むほど麦芽水飴のコクが出てくる感じ。

もち米を使っていますが、おもちみたいにびよ~んとは伸びません。

個人的な感想ですが、歯ごたえはちょっと硬くなったういろうか、やわらかなくなる二歩手前の切り餅(わかるかなぁ、この微妙なニュアンス)。

温度(気温、室温)で硬くなったり、柔らかくなったりします。硬さは好みですが、私はちょっと硬めのきびだんごをガブリと食いちぎって、口の中でゆっくりもぐもぐしながら柔らかくするのが好きです。


オブラートに包まれたきびだんご▲オブラートに包まれており、このまま食べることができます


大正12年の発売から95年目、道内できびだんごと言えば、誰がなんと言おうと、谷田の「日本一きびだんご」なのです。

 

谷田製菓
~大甞飴ときびだんごと、時々、豆腐とエノキダケ

大正時代からお菓子をつくり続けている谷田製菓(株)があるのは、札幌市や新千歳空港から車で約1時間、人口約12,000人の栗山町。

北海道日本ハムファイターズの栗山英樹監督の自宅があることでも知られており、お笑いコンビ「フォーリンラブ」のバービーさんの出身地です。


谷田製菓工場▲谷田製菓工場


谷田製菓の創業者、谷田可思三(かしぞう)さんが淡路島から栗山に移住したのは明治31(1898)年。その時可思三さんは13歳でした。

淡路島で味噌や醤油の醸造を行っていた谷田家は、栗山でも家業を生業としていました。

可思三さんは、大正2(1913)年に独立し、水あめをつくる会社を起業。大正4(1915)年に今に続くロングセラー商品「大甞飴」を発売し、それが大ヒット。谷田製菓の基盤をつくりました。


谷田製菓株式会社 代表取締役社長 谷田進太郎さん▲谷田製菓株式会社 代表取締役社長 谷田進太郎さん


「モノのない時代に、水あめでお菓子をつくろうということで大甞飴を考案したのはいいのですが、夏は暑くて柔らかくなってしまい、冬のお菓子になっていました。そこで、夏でも売れる商品が欲しいと考えました」と話してくれたのは、谷田製菓(株)代表取締役社長の谷田進太郎さん。可思三さんを祖父に持つ三代目です。

大正時代、庶民の生活も少し余裕が出てきて、道内にもお菓子問屋がいくつもできました。しかし、本州からお菓子を持ってくると、物流に時間がかかり日持ちがしないという問題が発生。

そこで、「日持ちのするお菓子が欲しい」という菓子問屋からのオーダーと、夏に売れるお菓子をつくりたいという目的が合致し誕生したのが「日本一きびだんご」でした。大正12(1923)年のことです。

「日持ちがする、傷まず、風味が変わらない、そしておいしい」と、谷田のきびだんごは道内各地で大人気になり、遠くは樺太にまで販路は広がりました。


谷田製菓のレンガづくりの工場▲昭和20年代に建てられた工場は、いまも現役


やがて時代は戦争へ。すると、谷田のきびだんごの腹持ちの良さと日持ちの良さから、軍隊の補助食品に指定され、兵庫県や中国の天津にも工場ができたそうです。

戦後、北海道は石炭産業で沸きました。すると今度は、炭鉱で働く人たちのための栄養食品、おやつとして谷田のきびだんごが注目されます。

水あめから大甞飴が、日持ちするお菓子としてきびだんごが次々とヒットし、時流に背中を押されるかのように順風満帆な谷田製菓でしたが、昭和30年代、スナック菓子の登場でそこから冬の時代を迎えます。


谷田製菓工場入口


二代目社長の時代、大甞飴は7シーズン製造を休みました。そんな会社存亡の危機に活路を見出したのが、なんと「豆腐」の製造でした。今では当たり前のパックに入った豆腐をつくると、これが大当たり!

その後、エノキダケの栽培も開始。いま、きびだんごや大甞飴をつくっている工場の中が全てエノキダケの栽培場だったという時代もあったそうです。

本来の主力商品であるきびだんごは、空いた倉庫を工場にして、細々とつくっていたとか。

豆腐製造は昭和40年代から平成10年まで続いていましたが、平成になると豆腐専門のメーカーが伸びてきて販路が少なくなり、また、自然素材をつかったお菓子としてきびだんごが見直され、徐々に販売が伸びてきたことから、三代目の谷田進太郎さんが社長に就任した時に、食品製造を廃止し、再び菓子専業に戻りました。


谷田製菓三代目谷田社長▲「きびだんごの味のバリエーションは、ミルク、とうきび、メロンなど、北海道らしさにこだわっている」と谷田社長


いまは、予約制で工場見学も行っています。小さな工場ですが、手づくり感たっぷりの様子が見られるので、機会があれば一度見学を。

大甞飴もきびだんごも、インスタ映えする華やかさがあるわけでも、SNSで拡散されるような旬な話題性があるわけでもありません。

どちらかというと、地味。

けれども、大正時代から愛され、祖父母から、父母へ、その子供たちへと受け継がれてきた素朴な味は、道産子のDNAに深く刻まれているはず。

北海道を代表するお菓子として、私たち道産子が次の世代へ伝え残したい味だと感じました。

 

アスリートのパワーフード、
非常食として注目されているきびだんご

ところで、このきびだんごですが、戦時中に軍隊の補助食品になっただけあり、アスリートのパワーフードとしても重宝されているそうです。
そして、長期間保存できることから、2018年9月6日に発生した北海道胆振東部地震以来、「保存食」「非常食」としても注目されています。

硬くなったきびだんごは、レンジでほんの数秒温めるか、あるいは紙包みのままフライパンで乾煎りすると柔らかくなります。


大甞飴は冬期間限定なので、今の時期しか購入できませんが、きびだんごは通年購入可能。谷田製菓のショップはありませんが、たいていどこのスーパーにもあるし、新千歳空港でもお土産として取り扱いがあります。


栗山町の谷田製菓本社▲栗山町の谷田製菓本社。ショップはありませんが、ここで直接購入することもできます
 
 

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