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公開 | 木村健太郎

アイヌと和人の争い「コシャマインの戦い」の戦端となった函館・志苔館跡

和人が蝦夷地の南部に渡り、拠点を築いたのが中世の時代です。そして、和人とアイヌの交わった蝦夷地から北海道へと続く歴史の中で、必ず取り上げられるのが、15世紀に起こったとされるアイヌと和人の最初の争い「コシャマインの戦い」。

その戦端となったのが函館市志海苔(しのり)町の国指定史跡・志苔館(しのりだて)跡なのです。蝦夷地の歴史に重要な意味を持つ志苔館跡の謎を紹介します!
 
 
▲空から撮影された志苔館跡。津軽海峡を望む風光明媚な場所にあります(函館市教育委員会提供)

 

目次

・蝦夷地の中世史を語るのに欠かせない史跡
・津軽海峡を望む眺望は一見の価値アリ!
・北前船の元祖?交易での繁栄ぶり示す古銭
・アイヌと和人の紛争「コシャマインの戦い」
・素晴らしい夕景と夜景にウットリ


 

蝦夷地の中世史に欠かせない史跡 

北海道を故郷とする「道産子」の多くが明治時代の開拓以降、様々な理由によって本州以南から移住してきた「和人」にルーツを持っていることは間違いないところ。
 
志苔館跡は蝦夷地の和人、そして独自の文化を築いてきた先住者であるアイヌの人々と和人の交わりという意味で欠かせない史跡なのです。
 
 
▲昭和9(1934)年に史跡指定され、同52(1977)年に周辺地域も追加指定を受けました
 
 
志苔館跡は函館市中心部から約9㎞北東の海岸部にある標高25mの丘陵に位置しています。段丘を生かして空堀が掘られていて、最大5mの土塁で囲まれた郭内は東西70~80m、南北50~65mの平坦地となっています。
 
内陸側は函館空港の滑走路が近く、海側は昆布で知られる志海苔漁港と津軽海峡を望む海岸線が走っています。
 
 
▲志苔館跡郭内の様子です。高台にあるので開放感にあふれています
 
 

津軽海峡を望む眺望は一見の価値アリ!

歴史を語る前に強調しておきたいのが、志苔館跡からの眺望の素晴らしさ!函館旅行に来られる皆さんが、この史跡を見学コースに入れる方は少ないかも知れません。しかし、この眺望だけでも見学の価値がある!と言っておきます。
 
 
▲晴れた日は函館山と函館市街が見渡せます。海に浮かぶ島のようにもみえますね!
 
 
海岸が目の前の高台にあり津軽海峡を一望できます。天気が良ければ右には函館山、左には青森県の下北半島が眺められます。爽やかな潮風が吹き、夏でも快適なのです。
 
 
▲海の向こうに見えるのは青森県の下北半島です。蝦夷地に来た和人は本州を眺めながら何を思ったのか…
 
 
▲近くには函館空港、その奥は横津連山などの山々。海だけではなく、内陸の風景も、見応えがあります
 
 
また、時間帯により見える景色も変わってきます。日が沈むと、これも函館山の夜景にも負けないくらいの景色が見られました。その写真はまた後ほど。
 
 

北前船の元祖?交易による繁栄ぶり示す古銭

志苔館跡は南北朝の動乱の最中、上野国(現群馬県)の小林重弘が蝦夷に渡り築いた館と言われています。14~15世紀に蝦夷に渡来した和人が築いた館は、研究等で存在が認められているものを総称し「道南十二館」と呼ばれています。
 
蝦夷地における近世和人地の前身と言われ、上ノ国町、松前町、福島町、知内町、木古内町、北斗市、函館市と道南一体に及び、志苔館跡は最も東の館となります。
 
 
この館の価値をより高めたのは、昭和43(1968)年7月、館下の道路工事中に大量の古銭が入った甕が発見されたことです。平成15(2003)年5月、「北海道志海苔中世遺構出土銭」として国の重要文化財に指定されました。
 
 
▲越前焼などの3個の大甕に約38万枚の古銭が詰まっていました(市立函館博物館所蔵)
 

土中埋蔵としては全国最大の38万枚という古銭は前漢時代のものから、明の時代の洪武通宝(1386年)のものまで93種類、1500年間に及んでいます。

中には朝鮮のものや、偽金も混じっているとか。甕は14世紀後半の福井県の越前古窯のもの、石川県の珠洲窯産の甕でいずれも14世紀後半のもの。

 
▲当時の貨幣価値は数字ではなく重さでしたので、貨幣は何でもよかったのです。麻ひもで繋げたものも見つかっています(市立函館博物館所蔵)
 
 
そのため、小林氏が交易等で築いた財を、大甕に備蓄していた可能性が高いようです。ちなみに同史跡の隣町は銭亀沢(ぜにがめさわ)町でかつては銭亀沢村でした。この名前からも、他にも銭の入った甕が見つかっているか、地元の伝承となっていたのかもしれません。
 
17世紀中期に編纂され、北海道最古の歴史書となる松前藩の「新羅(しんら)之記録」によると、15世紀の宇須岸(うすけし、函館の旧名)には年3回若狭(福井県)から船が訪れ、問屋が軒を並べていた、と記録があり、大量の古銭をみても小林氏が交易に大きく関わっていたことがわかります。
 
 
▲眼前には志海苔漁港。中世はこの場所に商戦が数多く停泊していたのかも!
 
 
下海岸と呼ばれている同地域の海岸は今でも良質な真昆布の産地で、中世から「宇賀の昆布」として重宝されていました。
 
この貴重な昆布、鮭を中心にトドやオットセイ、クジラなど海獣の肉、毛皮など本州では珍しい商品を中心に、海洋貿易で財を築いたと考えられます。
 
 
▲建武年間(1334年~)の著とされる庭訓往来に「宇賀の昆布」の記述があります(市立函館博物館特別展から)
 
 
津軽海峡を抜け、日本海を南下し越前国まで。さらに関西、瀬戸内まで足を伸ばしたこの交易は、まさに江戸期に全盛となった北前船の前身といっても過言ではありません。北前航路だけではなく同館の位置的にも太平洋航路での貿易を行っていた可能性もあるとか。
 

アイヌと和人の紛争「コシャマインの戦い」

「コシャマインの戦い」は、道産子にはポピュラーですが、本州の方はご存知ないかもしれません。しかし、北海道でアイヌと和人の歴史や紛争を知るには「シャクシャインの戦い」「クナシリメナシの戦い」とともに切っても切れないものです。
 
 
▲柵の奥には慰霊碑があり毎年7月22日開放され、市民も参加するアイヌと和人の戦没者を弔う例大祭がおこなわれます

 
康生2(1456)年春、志濃苔(志海苔)の鍛冶屋村でアイヌの少年が鍛冶屋に頼みマキリ(小刀)を造らせたところ、出来や値段で折り合いが合わず、鍛冶屋がマキリでアイヌの少年を突き殺してしまいます。これに怒った周辺アイヌの人々が蜂起します。
 
長禄元(1457)年、渡島東部アイヌの首長コシャマインがまず、事件の起こった志苔館(館主・小林良景)を落とします。その後、十二館の各館を次々に攻め落とし、残るは茂別館(北斗市)と花沢館(上ノ国町)となるほどの勢いでした。
 
 
▲北斗市の茂別館跡です。山城で、館跡と目される場所は矢不来天満宮となっています
 
 
しかし、花沢館の蠣崎氏の客将だった武田信広を大将に和人を取りまとめ、謀略によってコシャマイン父子が射殺され、アイヌは勢いを失います。武田信広はその後、蠣崎李繁の娘婿になり蠣崎家の家督を継ぎ、蝦夷地支配を進め、松前藩の始祖となる人物です。
 
その後もアイヌの蜂起は続き、1471(文明3)年にも再蜂起し、1512(永正9)年にも志苔、宇須岸など3館が攻め落とされました。

アイヌと和人の争いはその後膠着状態となり、1550(天文19)年、蠣崎李広(すえひろ)が東西のアイヌと和睦を結び、コシャマインの戦いを皮切りに90年余り続いた戦乱は終結しました。
 
志苔館は小林氏がその後、松前藩に従属し、文書上に登場することはなくなり、廃館となったと考えられています。
 
その後の館跡はかなり荒廃が進んだと考えられますが、史跡内の石碑などが残っていて、明治期以降、地元や有志の方々が大切に修復、保存してきたようです。
 
 
▲館内に建つ2つの古い記念碑。ひとつには宇賀同窓会の碑文などが記されています
 
 
この時代のアイヌの人々を記す資料は「新羅之記録」しかなく、さらに同書は和人の立場を強調した歴史書です。コシャマインの戦いに関しても、彼がどのような人物かもわからず、当時のアイヌの遺跡や発掘物は志苔館周辺には見つかっていないのも事実です。
 
 
▲昭和58(1983)年の発掘調査で建物跡、塀・柵跡、井戸の遺構や陶磁器等の生活用具が発見されました
 
 
しかし、その後の松前藩とアイヌの方々の関係を考えると、コシャマインの蜂起は、アイヌと和人の間に不平等な交易が始まり、その不満が爆発した端緒だったのかもしれません。松前藩が道南の一部以外、支配地を広げなかったのはアイヌの報復を恐れていた、という専門家の意見もあります。
 
 志苔館跡はコシャマインの戦いのみならず、松前藩が興るきっかけとなったこと、北前船の前身ともいえる昆布を中心とした日本海航路の貿易が行われていたことなど、蝦夷地の和人の歴史上、極めて示唆に富む役割を果たしていたと言えるでしょう。

 

素晴らしい夕景と夜景にウットリ 

素晴らしい眺望に目を奪われた筆者は、しばらく館跡に留まっていました。日が落ちるにつれて夕焼けのグラデーションが美しく、そして漁火の光が海上にポツリポツリと灯っていきます。


▲日没前の館跡から見た函館です。美しいです
 
 
▲極め付きは日没後!漁火と空のグラデーションと函館の街並み、函館山の煌めき…。言葉はいりません

 
函館は、様々な場所で夜景を楽しめますが、志苔館跡か眺める夜景は、函館でもここでしか見られない唯一無二のものと思います!
 
平成29(2017)年4月には、公益社団法人日本城郭協会から「続日本100名城」にも認定されました!
 
蝦夷地のアイヌと和人の歴史が初めて重なり合った時代の史跡であり、アイヌの人々との共生という意味でも、今後の北海道のあり方を考える機会にもなるかと。繰り返しますが眺望も良いので興味のある方はぜひ足を運んでください!

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