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公開 | 木村健太郎

古代“北海道人”はアーティストだった?古代ロマンあふれる手宮洞窟&フゴッペ洞窟の刻画

北海道でも有数の観光都市・小樽市、そしてニッカウヰスキーの創始者・竹鶴政孝を描いた朝ドラ「マッサン」で人気となった、余市(よいち)町。

ここには『北海道人』のルーツを探れる「手宮洞窟」と「フゴッペ洞窟」という日本でもここにしかない史跡あるのです!

小樽・余市観光を楽しむとともに、古代ロマンにも触れてみませんか?
 
 
▲フゴッペ洞窟の刻画。羽根などで装飾された角を被った人ように見えますね
 
 

本州とは異なる文化を辿った古代の北海道

2つの洞窟には丘陵にある洞窟の壁に刻まれた数多くの刻画が描かれています。この摩訶不思議な刻画は、約1600年~2000年前の「続縄文時代」と推定されています。
 
日本の歴史で続縄文時代など学校でも習いませんよね?日本では縄文土器や土偶に代表される約1万年続いた縄文時代が続きました。

その後、本州以南は弥生時代、そして古墳時代となるのですが、北海道は寒冷な気候で米が作れず農耕文化が入ってこなかったため、縄文時代を発展させた漁労や狩猟を中心とした続縄文時代が続きます。
 
 
その後、大陸の影響を受けた擦文文化、オホーツク文化の時代を経て中世以降はアイヌ文化の時代が続くことになるのです。

北海道は弥生時代以降は独自の時代を歩んできたのです。刻画が描かれた時代は本州で弥生時代後期から古墳時代にあたります。

 

慶応2年に石工が発見した手宮洞窟

小樽の手宮洞窟は江戸末期の慶応2(1866)年に石工の長兵衛が発見。明治11(1878)年に開拓使の役人となった、あの榎本武揚が紹介。

同13(1880)年には英国人で地震・地質学者のジョン・ミルンが「古代文字」として世界に紹介しました。
 
 
▲小樽市総合博物館に隣接し、丘陵に張り付くように建っている手宮洞窟保存館。10年の歳月をかけ平成7(1995)年に現在の形となりました
 
 
▲保存館内にある刻画の全体図です
 
 
大正10(1921)年には国指定の史跡となりました。この史跡は明治から研究者の間で文字かそれとも絵か?という論争になり、実際に文字として解読した学者もいたのです。
 
また、だれかのいたずらか?という説もあったのですが、昭和25(1950)年に隣町の余市でフゴッペ洞窟が発見され、その相似性によりいたずら説も一蹴されます。
 
文字説も近年まで根強かったですが、研究や発掘調査が進んだ現在、岩壁に何らかの意図があって描かれた刻画という説に落ち着いています。
 
 
▲手宮洞窟は、頭から角が生えた人物らしき刻画が中心です。四足歩行動物らしい刻画も見えます
 
 
手宮洞窟は発見が早く、洞窟が削られたり、洞窟上部に鉄道が施設されたりと、外気にさらされた時間が長かったため、少々、風化が進んでいるものの、30点以上の力強い筆致の刻画が描かれています。
 
 
▲手宮洞窟は刻画部分の岩壁を覆って保存しています。光による劣化も防ぐため、実際の室内は真っ暗です
 
 

約800もの刻画がある国内最大級のフゴッペ洞窟

フゴッペ洞窟は前述の昭和25年夏に札幌の中学生だった大塚誠之助さんが、当地に遊びに来ていた時に洞窟内で遺物を発見したのがきっかけです。

大半が土砂に埋まっていたのですが、発掘調査が行われ全貌が明らかになり、昭和28(1953)年には国指定史跡に認定されました。
 
 
▲平成16(2004)年に現在の形にリニューアルされたフゴッペ洞窟
 
 
両洞窟の距離は16㎞ほどと近いですが、刻画の雰囲気は違います。

それは、岩質が手宮は小樽軟石と呼ばれる凝灰岩で固く、フゴッペは砂岩で、引っ掻いただけでポロポロと崩れるぐらい柔らかいからだとか。
 
 
▲フゴッペ洞窟は数も多くバリエーションに富んでいます。左側には翼の生えた四つ指の人。右側にはクジラや潜水船にもみえるものも
 
 
手宮は石斧などで彫刻のように叩き彫って描き、フゴッペは細く鋭い石器や骨角器、貝殻などでカリカリと岩を削りながら描いたのではないかと推定されています。
 
 

祭礼・儀式のため描かれた?

続縄文時代の刻画が発見されているのは、国内ではこの2ヶ所だけ。貴重な遺跡なのですが、なぜこのような岩面に刻画が描かれたのか?
 
人物画はシャーマン(呪術師)を表し、何等かの祭礼や儀式のために描かれ、集落から洞窟に人が集まり祈っていたという説が有力となっています。
 
特にフゴッペ洞窟は約800もの人物や動物などが描かれ、洞窟の下部から上部にまで刻画が広がっていることから、数百年にわたり洞窟が使われていたようです。この地の続縄文人にとって特別な聖なる場所だったのでしょうか?
 
 
▲この刻画は人の乗った船と解釈されています。櫛にも見えますけどね!
 
 
彼らが何を思い、祈りながらこのような刻画を描いていたのか、観ていると想像力が掻き立てられ楽しい場所です。いまだに宇宙人と結びつける方もいるとか。正しい知識も必要ですが、まだまだ謎の部分もあり、刻画を観てどのように想像、判断するかは自由です。
 
 
▲地面スレスレにも刻画が。人が手をつないだように見えますね!
 
 
▲角の生えた人。筆者には擬人化された動物にもみえます


縄文時代の土偶や土器もそうですが、洞窟の刻画も現代人にはない芸術性や精神性を感じます。今でいう抽象画のようにも見えませんか?
 
 
▲人物も様々な描かれ方があります。触覚が生えたようなもの、バンザイしているようにもみえますね!

  
▲これは何でしょう?木の葉説もあるようですが、学芸員の方には「団子(右側)にしか見えません」とお茶目な回答をいただきました
 
 
両洞窟に似たような刻画はロシアや中国など北東アジアに見られ、古代の“北海道人”と大陸の人々との交流や民族的な関係があるのかも知れません。日本人のルーツを探れる貴重な史跡とも言えますね。
 
 

小樽・余市は信仰の地だった?ストーンサークルも

両洞窟の近くには環状列石、いわゆるストーンサークルがいくつも見つかっています。昭和時代は宇宙人やUFO(未確認飛行物体)と関連付ける人もいて話題となりましたね。
 
小樽の忍路(おしょろ)地区には忍路環状列石(国指定史跡)や地鎮山環状列石、フゴッペ洞窟近くの丘陵には西崎山環状列石があり、見学するには西崎山が整備されているのでオススメです!
 
 
▲西崎山環状列石です。中央の大きな石の周りを大小の石がサークル状に囲んで形成されています
 
 
環状列石は約3500年前の縄文時代後期ものと推定され、墳墓や葬礼に使われたとみられています。サークル状にすることに意味があったようです。
 
フゴッペ洞窟はそれから約2000年後の史跡となりますが、彼らの子孫であることが有力です。この地域には少なくとも約8000年間、人々が暮らしていたことがわかっています。
 
 
▲西崎山環状列石から見渡す余市湾。海に突き出ているのがシリパ岬です
 
 
近年の研究で、わざわざ遠くシリパ岬から石を運んできたことがわかっています。多数の重い石をなぜ?どのように運んだのか、謎のままです。岬が古代人にとってランドマーク的な場所だったのでしょうか?
 
 
ストーンサークルが多数見つかり、刻画も残しているこの土地の人々は、かなり信心深かったのかも知れませんね。
 
 
小樽・余市を訪れた皆さん、観光だけではなく、日本でここにしかない2つの貴重な洞窟もあることも記憶しておいてください。

北海道命名150年という記念すべき年を契機に、先人の歴史にもぜひ注目してみて下さい!

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