2013年03月21日 | 小砂 志津子

「稚内港北防波堤ドーム」稚内市:北海道遺産シリーズ(12)

なめらかな曲線と、それを支える太い支柱。日本最北のまち稚内に、古代ローマの遺跡を思わせる巨大な建造物があります。最北の港のシンボル「北防波堤ドーム」です。美しいフォルムの誕生秘話から、旧樺太航路時代に活躍した半アーチ式ドームの物語をご紹介します。

 
北防波堤ドーム
(提供:写真家・ KEN五島氏)
WEBサイト http://kengoshima.com/

 
70本の太い柱に半円形のアーチ、全長472mの北防波堤ドームが完成したのは、今から約80年前の1936(昭和11)年です。
設計者は、当時北海道大学を卒業して間もない26歳の土谷実でした。
若き設計者がなぜ、港湾土木史に残る壮大な建造物を残すことができたのでしょうか。
 
 
北防波堤ドーム

 
1923(大正12)年、稚内と樺太(現サハリン)の太泊(現コルサコフ)を結ぶ「稚泊航路」が開設されます。
稚内は交通の要衝として、1928(昭和3年)に現在のJR稚内駅に「港駅」が開設され、港も岸壁や防波堤の整備が急がれていました。しかし、四季を通じて強風と高波に悩まされており、工事は思うように進んでいませんでした。
そんな時、稚内築港事務所に赴任してきたのが土谷実でした。
 
 
稚泊航路記念碑
 

土谷は、当時はまだ難しいとされていたコンクリート技術を学んでいたことから、高波から守る防波壁の設計を任命されました。しかも、着工に間に合うようにと命じられ、土谷は呆然となったと言われています。
工事は2ヵ月後に迫っていたからです。
庇(ひさし)をつけることを所長から指示され、強度計算から模型製作、実験を繰り返し、ようやく現在のドーム型の防波堤に辿りつきます。
設計後、土谷氏は「大学時代に見た古代ギリシャ神殿の写真が潜在的にあったかもしれない」と話していたそうです。
 
ドームはその後、1931(昭和6)年から5年の歳月をかけて1936(昭和11)年に完成。
1938(昭和13)年には、ドーム内にも線路が敷設され、「桟橋駅」も整備されました。稚泊航路で樺太に向かう乗客たちは、外に出ることなく港に横付けされた連絡船に乗り込むことができたそうです。

 
稚内 桟橋駅
▲ドーム完成当時の桟橋駅

 
樺太には多くの資源があり、日本の移住者は40万人にも達したといわれています。
しかし、第二次世界大戦の戦況が悪化した1945(昭和20)年、日本人は樺太から次々と引き上げていきました。
家族バラバラとなって稚内港に着いた者は、連絡先や居場所を紙に書いてドームの柱に貼っていったそうです。
そして、同年8月には稚泊航路は廃止となります。ドーム完成からわずか9年のことでした。
 
 
稚泊航路専用船 亜庭丸
▲稚泊航路専用船 亜庭丸

 
実働は9年とわずかな期間でしたが、北防波堤ドームは、旧樺太航路時代の記憶を伝える貴重なシンボルといえます。
また、現在でも強風や荒波から稚内港を守っている、現役の土木建造物でもあります。
1978(昭和53)年から3年の歳月をかけて全面改修が行われ、平成に入ってから耐震強化補強工事も実施。現在もコンサート会場や展示場、食のイベント会場などとして地域に親しまれ活用されています。
 
 
北防波堤ドーム

 
80年前と変わらず、今も高波から港を守ってくれている北防波堤ドーム。
若き設計者の情熱と、既成概念に捉われない柔軟な発想が、この壮大で美しいフォルムの土木構造物を生んだのでしょう。
 
北防波堤ドームは、JR稚内駅から約500m、徒歩約10分の場所にあります。
 

北海道遺産

・Webサイト http://www.hokkaidoisan.org/
・Facebook http://www.facebook.com/hokkaidoisan

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