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公開 | 佐々木葉子

元町の歴史的建造物「旧相馬邸」は函館版大河ドラマの舞台

教会や洋館めぐりが人気の函館元町地区に、
重要文化財クラスの和洋折衷建築があることをご存じですか。
函館の豪商として知られた相馬哲平氏の元邸宅「旧相馬邸」です。
観光スポット・旧函館区公会堂とも深い関わりがある相馬氏の
暮らしぶり、住まいの贅の凝らし方をご紹介します。
 

alt、▲提供写真:1908年、基坂上に建設された相馬氏の私邸。現在は「旧相馬邸」として一般公開されています▲提供写真:1908年、基坂上に建設された「旧相馬邸」。外観は和風ながら、右手の一角だけは洋風仕立て。その秘密は下記に
 

新潟から開港に沸く函館へ渡った相馬氏

相馬氏自身を知らなくても、氏の功績には多くの人がふれています。

最もわかりやすい例が、ブルーグレーとイエローのコントラスト、エレガントな意匠が特徴的で、国指定重要文化財でもある旧函館区公会堂です。

alt、 ▲館内はクラシックな雰囲気で、皇族が利用された貴賓室などがあります。バルコニーからは函館港が一望のもと(写真提供:はこだてフィルムコミッション)▲館内はクラシックな雰囲気で、皇族が利用された貴賓室などがあります。バルコニーからは函館港が一望のもと(写真提供:はこだてフィルムコミッション)

この建物は函館大火で焼失した集会所の再建を目指し、1910年に建てられたもので、建設費用は当時の約5万8千円。その約9割にあたる5万円、いまでいう10億円相当が相馬氏からの寄付でした。
 
alt、▲「旧相馬邸」の資料室に飾られている相馬氏の肖像写真▲「旧相馬邸」の資料室に飾られている相馬氏の肖像写真


相馬氏は、1833年新潟県生まれ。28歳の時に開港まもない函館へ渡り、2年後には米穀商を開業。一世一代の大勝負に出て巨利を得ます。その後ニシン漁の投資、海陸産物の商いを行い、39歳で金融業に転身。北海道一の豪商と知られるようになります。

旧函館区公会堂をはじめ、数々の公共建築に多額の寄付を行った相馬氏。一代で富と名声を授けてくれた函館への恩返しという気持ちがあったのでしょう。晩年は地元銀行の頭取、貴族院議員を務め、現在は函館市内最古の寺院・高龍寺で眠っています。
 

旧函館区公会堂に通じる、凝った意匠

明治時代の富裕層の暮らしぶり、住まいへの贅の凝らし方を「旧相馬邸」を見ながら想像していきましょう。

黒の板塀、前庭の松の古木、落ち着いた佇まいからもわかるように、「旧相馬邸」は基本的には和風住宅です。ところが、応接用に作った部屋だけは外観も室内も洋風にしつらえられています。

こちらが室内全景です。高い天井には旧函館区公会堂のそれと似た中心飾りがあり、天井と壁の境目にはコーニス(蛇腹)が施され、デコラティブな雰囲気をかもしだしています。


alt、 ▲窓は内側が引き込み、外は上げ下ろし窓の二重構造。防寒意識の高さが垣間見えます ▲窓は内側が引き込み、外は上げ下ろし窓の二重構造。防寒意識の高さが垣間見えます


大理石で造られた暖炉は、堂々たるヴィクトリアン・スタイル。火床の両脇に張られているのは草花文湿式多色象嵌タイル、火床前にはモザイクタイルを敷いています。
 

alt、▲床はミズナラの寄木造り。ブルーの絨毯は、明治40年前後のヨーロッパ製と伝えられています▲床はミズナラの寄木造り。ブルーの絨毯は、明治40年前後のヨーロッパ製と伝えられています

隣室との間の板扉は、框のタモと、彫刻されたケヤキを寄木の技法でくみ上げたもの。引手には透明緑色のクリスタルが使われています。
 

alt、▲透明緑色のクリスタルはとても貴重なものだったとか▲透明緑色のクリスタルはとても貴重なものだったとか


優れた材、卓越した技があちらこちらに

ここからは、和の世界をご案内します。

相馬家の行事や冠婚葬祭で使われた主座敷は、約15畳。書院造で床柱は檜、床框は黒檀、落掛は杉が使われています。床脇の造作は千鳥棚で、天袋は絹本泥塗りと、贅を凝らした造りです。


alt、▲衝立の向こうの畳は、通常の1.5倍の長さ。書院造の座敷では、畳のヘリが床の間を挿すようには敷かないという決まりがあるようです▲衝立の向こうの畳は、通常の1.5倍の長さ。書院造の座敷では、畳のヘリが床の間を挿すようには敷かないという決まりがあるようです
 

alt、▲床の間の掛け軸は、幕末から明治時代初期にかけて活躍した幕臣「幕末三舟」のもの。右から「山岡鉄舟」「勝海舟」「髙橋泥舟」※展示は不定期で変更になります▲床の間の掛け軸は、幕末から明治時代初期にかけて活躍した幕臣「幕末三舟」のもの。右から「山岡鉄舟」「勝海舟」「髙橋泥舟」※展示は不定期で変更になります


主座敷から縁側にある、座敷飾りの「付書院」。障子の桟は一本一本がとても細く、正確に切られています。


alt、▲不思議なことに角度によって間隔が異なって見えます▲不思議なことに角度によって間隔が異なって見えます
 
 
alt、▲囲炉裏のある和室は、いまでいうところのダイニングスペース。写真の書は、函館に縁の深い榎本武揚によるもの▲囲炉裏のある和室は、いまでいうところのダイニングスペース。写真の書は、函館に縁の深い榎本武揚によるもの

使用している材は一級ですが、そのしつらえは洋室の華やかさと比べて質素です。これは家訓のひとつ「勤倹を守り」のあらわれかもしれません。
 

函館大火を逃れた土蔵で見る、道南の芸術

「旧相馬邸」を訪ねたら、ぜひ見てほしいのが隣接する「旧相馬邸歴史回廊(土蔵ギャラリー)」です。

旧函館区公会堂が再建される理由となった函館大火を逃れた土蔵を活用し、現オーナーが収集した貴重な美術品や歴史的資料を展示しています。


alt、 ▲江戸時代中期の松前藩で活躍した絵師で、アイヌ絵の草分けともいわれる小玉貞良(こだま・ ていりょう)の「江差屏風」18世紀中頃。鰊漁を背景に、活気づく江差のまちとその周辺の賑わいが描かれています ▲江戸時代中期の松前藩で活躍した絵師で、アイヌ絵の草分けともいわれる小玉貞良(こだま・ ていりょう)の「江差屏風」18世紀中頃。鰊漁を背景に、活気づく江差のまちとその周辺の賑わいが描かれています


 alt、 ▲江戸時代後期の画家で松前藩家老の蠣崎波響(かきざき・はきょう)の作品をこんなに多く見られる機会はレア▲江戸時代後期の画家で松前藩家老の蠣崎波響(かきざき・はきょう)の作品をこんなに多く見られる機会はレア

展示は約2ヵ月ごとに、変更になります。詳しくは、「旧相馬邸」ホームページのイベント情報をご覧ください。

憧れの屋敷の輝きをもう一度

「旧相馬邸」と「旧相馬邸歴史回廊(土蔵ギャラリー)」は、9年前から東出伸司さんと旧相馬邸保存会によって保存、管理、運営されています。

ある時期、相馬邸には取り壊しの危機がありました。高校時代、旧相馬邸の近所に住み、この屋敷に憧れていた東出さんは、この話を聞くとすぐに邸内を見学したいと申し出ました。何年間も放置されていた屋敷は、青年時代に見た輝きはみじんも感じられない「空き家」に変わり果てていました。

東出さんはすでに70歳近くになっていました。しかし、「函館の大恩人と言われた相馬哲平の屋敷を守るのは函館市民の義務でないのか、誰もやらないのなら自分が!」と手を挙げたのです。


alt、 ▲「ボランティアの語り部や音声ガイドでのご案内も行っていますので、お気軽にお立ち寄りください」と東出さん。西郷隆盛直筆の書をバックに ▲「ボランティアの語り部や音声ガイドでのご案内も行っていますので、お気軽にお立ち寄りください」と東出さん。西郷隆盛直筆の書をバックに


alt、▲提供写真:手入れが行き届いた和風庭園もぜひご覧ください▲提供写真:手入れが行き届いた和風庭園もぜひご覧ください


「旧相馬邸」は、商都・函館の大河ドラマを実感できる場所。館内には、函館港を見渡しながら、コーヒーや函館の名店が作る弁当(要事前予約)を楽しめるカフェもあります。スケジュールに余裕をもってお訪ねください。

関連リンク

・旧相馬邸

 
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