2017年11月27日 | チバタカコ

石狩川と日本海が出会うところ。「いしかり砂丘の風資料館」~石狩と鮭(1)

石狩川と日本海が出会うところ、それが石狩川河口地域

札幌市の隣まち「石狩市」は、1996(平成8)年9月1日に、石狩町から石狩市となり市制がスタート。そして、2005(平成17)年10月1日に、石狩市・厚田村・浜益村が合併して、新「石狩市」が誕生しました。
 

石狩市、弁天歴史通り▲石狩市、弁天歴史通り
撮影:チバ
 

「石狩」の原点となったところは、全国第3位の長さで、流域面積は全国第2位、北海道一の大河である石狩川が日本海と出会う石狩川河口地域。いま、「石狩天然温泉番屋の湯」があり、「弁天歴史通り」と呼ばれているあたりが、古くから栄えていたところです。

 
石狩市、いしかり砂丘の風資料館▲いしかり砂丘の風資料館
 

「いしかり砂丘の風資料館」は、まさに石狩の原点である場所に位置しています。元は別の施設だった建物を再利用しているので、決して大きな建物ではありません。また、その中も展示用に設計されたものではなく、今ある空間を工夫したレイアウトになっています。そのせいか逆に展示物が近く、一番の特徴は「触れる」ものが多いということ。小さな資料館ですが、石狩と鮭の関係をここで知ることができます。

 

「いしかり砂丘の風資料館」で、石狩と鮭を知る

資料館内は、1階が「川」「河口」「海」、2階が5000年~3000年前の縄文時代「石狩紅葉山49号遺跡」と、テーマごとの展示になっています。
 

石狩市、いしかり砂丘の風資料館

 
テーマ展示の「川」は、もちろん石狩川のこと。このコーナーでは、石狩川最下流にあった「石狩川河口渡船場」、その渡船場を運営していた「場所請負人」、場所請負人が交易していたアイヌと彼らの鮭漁などについて紹介しています。
 

石狩市、いしかり砂丘の風資料館
 
 
松前藩は、アイヌと交易するところを「場所」と呼ばれる区域に分け、その「場所」の交易を一定の運上金と引き換えに「場所請負人」と呼ばれる商人に任せるようになりました。江戸時代の場所請負人の代表格が石狩場所の村山家です。1780年代、日本屈指の豪商として名を馳せ、松前藩の参勤交代の費用も村山家が出したと言われているそうです。
 
 
石狩市、いしかり砂丘の風資料館、村山家模型▲場所請負人、村山家の模型
 

その場所でアイヌの人たちと交易していたものが、干し鮭、鷹・鷲羽、熊・狐・兎などの獣の皮でした。特に「鮭」は、石狩に和人が住み着くずっと以前からアイヌの人たちが漁をしており、もっと古くは5000年~3000年前の縄文時代から、この地で鮭漁が行われていたことが、遺跡で発掘されています。
それが、2階の「石狩紅葉山49号遺跡」で知ることができます。
 

石狩市、いしかり砂丘の風資料館、石狩紅葉山49号遺跡▲2階の「石狩紅葉山49号遺跡」コーナー
 

2階の展示コーナーでは、発掘された縄文時代の鮭漁の漁具などが展示されています。4000年前の、川の中にせき止めて鮭を獲る柵=魞(エリ)と呼ばれる漁具が発掘されており、これは国内最古の鮭漁施設で、縄文時代では初めてのものだそうです。
魞は、アイヌの鮭漁施設「テシ」とほぼ同じものと考えられており、石狩では4000年前の縄文時代から鮭漁が行われていたことがわかっています。


石狩市、いしかり砂丘の風資料館、石狩紅葉山49号遺跡、タモ▲ほぼ完全な形で発掘された「タモ」
 

石狩市、いしかり砂丘の風資料館、石狩紅葉山49号遺跡、舟形容疑▲縄文時代でも最大級の舟形容器も発掘されています

 
そして、記録が残っている江戸時代以降も、魞漁、地曳網漁、刺し網漁、流し網漁、定置網漁など、石狩ではさまざまな漁法で鮭漁が行われてきました。

 

石狩の歴史から、「石狩と鮭」の関係を考える

石狩と鮭の関係について、いしかり砂丘の風資料館の工藤さんが大変興味深い話をしてくれました。
 

いしかり砂丘の風資料館、石狩市教育委員会生涯学習部文化財課 課長の工藤義衛さん▲いしかり砂丘の風資料館、石狩市教育委員会生涯学習部文化財課 課長の工藤義衛さん
 

「江戸時代は生ものの流通はできませんから、石狩で獲れた鮭は塩漬けか干し鮭にして江戸に運ばれました。ただ、鮮度の良い脂ののった鮭は脂焼けをして味が落ちるので、実はホッチャレ(産卵を目指し川に上り体は傷つき、脂身も無くなりヨレヨレになった鮭のこと)が江戸向きでした。当時、江戸に運ばれた鮭の100匹のうち75匹くらいは石狩産と言われており、江戸では鮭と言えば石狩というイメージができ上っていました」。
 
皆さん、思い出してみてください。駅弁や定食などで「石狩〇〇」と名前のついたものは、たいてい鮭が入っていませんか?それは、江戸時代に「石狩=鮭」というイメージが固まり今日まで続いているからだと工藤さんは言います。
きっと江戸時代の「石狩」は、鮭のブランド名みたいな感覚だったのかもしれませんね。
 

いしかり砂丘の風資料館、石狩市教育委員会生涯学習部文化財課 課長の工藤義衛さん▲「石狩鍋」の研究をしているという工藤さん。「石狩鍋」については、改めて北海道Likersで紹介します
 

昔は「川に棒が立つくらい鮭が遡上した」という話があるくらい石狩川には鮭が遡上し、明治時代に石狩の鮭漁は最盛期を迎えます。しかし、明治20年代以降、乱獲や石狩川上流部の開発が原因で漁獲高が減少の一途をたどっていきました。
石狩市の漁業の中心は今も昔も鮭漁ですが、北海道の鮭の水揚げ高は石狩市のある日本海側ではなく、オホーツク海や太平洋側の方が高いのが現状です。
 
しかし、水揚げ高は他市町村に譲りましたが、今も「石狩と言えば鮭」とすぐに連想できるのは、江戸時代の石狩で鮭を獲った人たちとそれを江戸まで運んだ人たちのおかげなのかもしれません。
 

「石狩紅葉山49号遺跡」から発掘された漁具▲「石狩紅葉山49号遺跡」から発掘された漁具
 

「いしかり砂丘の風資料館」では、縄文土器の模様標本をつくる体験講座や石狩浜の漂着物を観察する野外講座なども行っています。石狩川と日本海が出会うところにある小さな資料館で、新しい発見をしてみませんか。
 
 

 関連リンク

いしかり砂丘の風資料館

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