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公開 | チバタカコ

北海道の暖房器具~石炭ストーブには、デレッキ、じゅうのう、石炭箱

貯炭式石炭ストーブ
 

道外の家の方が「寒い」と感じるのが道産子です

道産子が冬に道外に行って、まず感じること。それは宿泊先、飲食店、友人や親せきの家など、なんだかどこに行っても屋内が肌寒い…いや正直に言おう、なまら寒い!道内なら、外は氷点下が当たり前なのでがっつりまかなって(しっかり着込んで)外に出ますが、屋内は薄着でも十分に暖かく過ごすことができます。
 

北海道開拓の村にある「開拓小屋」▲北海道開拓の村にある「開拓小屋」。明治期のものを再現したもので、北海道に移住してきた人たちが最初に建てたのはこんな家だったそうです
撮影:チバ
 

北海道開拓の村にある「開拓小屋」の囲炉裏▲開拓小屋の中の囲炉裏。こんな粗末なもので暖をとって、北海道の冬を過ごしていたのかと思うと…無理です、無理!と叫びたくなります
撮影:チバ
 
 
基本的に建物の構造が違います。北海道の建物は、壁や天井、床などに分厚い断熱材がしっかり補填されており、高気密・高断熱は当たり前。開口部である窓も、ガラス1枚ではなく、ガラス2枚の間に中空層を設けた複層ガラスが多く採用されていて、その複層ガラスがさらに外側、内側の二重窓になっています。そして家の中で暖房器具を使って部屋全体を暖め、長い冬を過ごします。
今でこそこうして快適な住空間があり、さまざまな暖房器具がありますが、昔の北海道では、どうやってこの厳しい冬を過ごしてきたのでしょう。札幌市厚別区にある北海道博物館で話をうかがいました。

 

ストーブが普及する前の北海道の暖房器具

「そもそも、家を暖めるための暖房器具は、日本にはありませんでした」と話してくれたのは、北海道博物館学芸員で一級建築士の村上孝一さん。昔の日本家屋では、囲炉裏、火鉢、こたつなどが暖を取る道具で、部屋全体を暖めるという発想はなく、寒ければ着込む!というのが一般的でした。なので、北海道に移住してきた人たちも同様に、囲炉裏や火鉢、こたつなどで暖を取る生活をしていたそうです。北海道で暮らしていたアイヌの家屋「チセ」にも中央に炉があり、そこで暖を取っていました。
 

火鉢▲火鉢。中に灰を入れ、炭火などを入れておく暖房器具。時代劇などで見かけますが、今も家にあるという人もいるのでは?

 
昔のこたつ▲こたつ。木製の櫓の中に炭火を入れたこたつを置き、布団をかけて暖を取っていたそうです
 

豆炭あんか▲豆炭あんか。中に豆炭を入れて使います
 

ブリキ製の湯たんぽ▲ブリキ製の湯たんぽ。翌朝、中のお湯(もちろん冷めています)を再利用して顔を洗った記憶があります
 

やがて江戸時代、1856(安政3)年の箱館(函館)で、入港中のイギリス船でストーブを使っているのを箱館奉行所の役人が見て、「これは冬の北海道で使えるぞ!」と考え、それをスケッチし箱館の鋳物職人につくらせたのが、日本初のストーブです。

しかしこのストーブがすぐに普及したかというとそうではなく、量産されるようになるのは北海道に開拓使が置かれた1879(明治12)年頃。開拓使工業局の工作所でアメリカ製のストーブをモデルに鋳物と鋼板でストーブをつくり販売したという記録があるそうですが、サイズがアメリカ仕様で大きく日本家屋に合わないこと、そして何より高価だったことから一般庶民には広がらなかったそうです。

ただその頃、北海道の稚内地方では、独自に鋼板製のストーブづくりが行われていたとか。その理由は、「当時、宗谷や知床で警護に当たっていた津軽や会津の藩士が、冬の寒さや栄養不足で命を落としていたため、宗谷場所(稚内)へ赴任する函館奉行所の役人、梨本弥五郎がイギリス船のストーブを視察して、函館奉行所にストーブの製造を願い出ます。奉行所は製造を許可して、鋳物製ストーブの製造が始まりましたがなかなか完成せず冬が近づいてしまいました。3月から製造に挑戦しましたが、公式に試し炊きに成功したのは11月25日。宗谷に赴任していた梨本は、ストーブが間に合わないので、地元の鍛冶職人とともに函館で作っているストーブの設計図を元に、鉄板製のストーブ作りをはじめ、冬までに完成させるとができました」と村上さんは話してくれました。

 

北海道の暮らしに、ストーブが、キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!

役所や学校などの公共施設が、洋風建築で建てられるようになると、暖炉が設置されるようにもなりました。札幌の中島公園にある豊平館の広間にあるような暖炉です。

 
豊平館の広間にある暖炉▲豊平館の広間にある暖炉
撮影:北海道Likersライター T・H

 
ぼちぼちストーブが出回るようになるのは、明治20年代後半から。それでもまだ受注生産、つまりオーダーメイドでした。やがて明治40年代に、やっと安価な薄鋼板の既製品のストーブが登場し、ようやく庶民にも普及するようになりました。囲炉裏で使っていた薪をそのまま薪ストーブに利用できたのも普及の要因だと言います。ストーブは部屋を暖めるだけではなく、その上に鍋を置いて煮炊きをするのにも重宝しました。
 

薄鋼板製薪ストーブ▲薄鋼板製薪ストーブ。薪ストーブは、その形から「ローランド型」(左)、「だるま型」(右上)、「小判型」(右下)などと呼ばれていたそうです

 
村上さんによると、ストーブが出回ると同時に、大きく変わったのが北海道の住宅事情だとか。昔の北海道の家は、いわゆる「内地仕様」の建築・構造で、今の北海道ではほとんど見ることのない雨戸があり、明り取りといえば障子か、開口部をそのまま開け放すしかありませんでした。夏ならともかく、冬に開口部を開けっ放しなんて、北海道では絶対できません。日中は障子越しに薄ら日差しは入ってきますが、冬は雪が降るので障子は役に立たず、雨戸を閉めると室内に採光を取り入れることができなくなり、いつも真っ暗…。
 
そして、囲炉裏があったので天井も高く、そこで燃やす薪などの煙で部屋中が燻されているようなものでした。しかし、ストーブが登場すると煙は煙突で外に排出されるため、室内環境が一気に改善。煙を逃がすために天井を高くする必要もなくなり、部屋の容積を小さくすることができるようになりました。また、開拓使が洋風デザインを取り入れてガラスを使うようになり、室内に自然光を取り込むことができるようになりました。「このガラスの登場が、北海道の冬の生活を大きく変えたんですよ」と村上さん。
 
「でも庶民の家にはガラスは高級品ですよね?」と尋ねると、一般庶民の住宅に板ガラスが使われるようになったのは、日本の中でも北海道が一番早かったそうです。その理由を村上さんが教えてくれました。

「明治時代に、本州で需要の少なかった半紙版ガラスが北海道で売られたことが北海道でガラス窓が普及するきっかけとなりました。庶民の家に使われたガラスは、半紙版(14×10インチ)と呼ばれた当時の市販品の最小規格寸法のガラスでした。このサイズのガラス板を横に3枚並べると、ちょうど3尺幅の日本の建具の幅に収まるので、半紙版ガラス3列2段(6枚入り)、3列3段(9枚入り)といった既製品の建具が作られるようになり、全道に普及していきます」。
 
「道外で家を建てる時は、家に合わせて建具をつくるので、時間も手間暇もお金もかかるのに対して、北海道ではこのように規格化した建具に合わせて家をつくっていたので、簡単に窓を取り付けることができた。住宅の規格化が一番進んだのが北海道なんです」。
 

北海道開拓の村にある「旧手宮駅長官舎」▲北海道開拓の村にある「旧手宮駅長官舎」。明治時代の建物で、まずは官舎などから規格化された窓が採用されていきました
撮影:チバ
 
 
北海道開拓の村にある「旧有島家住宅」▲北海道開拓の村にある「旧有島家住宅」。文豪、有島武郎が明治43年~44年に住んだ家。一般の住宅にも、洋風デザインの上げ下げ窓が採用されています
撮影:チバ

 
開拓のため入植した屯田兵が住む屯田兵屋は、各戸にガラス窓が支給され、囲炉裏のあったところにストーブをつける、今でいうリフォームが進められたそうです。
ガラスは、光を取り入れると同時に、雪も風も防ぎます。その部屋でストーブを焚き、部屋全体を暖めて過ごすという北海道の冬の暮らしが、こうしてできあがっていきました。

 

日本初のストーブも、日本初の貯炭式ストーブも、発祥は北海道

ストーブが広く普及した頃の燃料は薪でしたが、大正時代になると石炭が登場し、石炭ストーブが使われるようになります。当初の石炭ストーブは、ひんぱんに石炭をくべなければならない「投げ込み式」と呼ばれるもので、くべる作業が大変なことと、石炭をくべるたびに灰が舞い上がり、部屋が汚れるという欠点がありました。
 

投げ込み式石炭ストーブ▲投げ込み式石炭ストーブ。左が「寸胴ストーブ」、右は北海道では学校や駅などでよく使われ、その形状から「だるまストーブ」と呼ばれていました

 
やがて1919(大正8)年に、その欠点を解消する「貯炭式」と呼ばれるドイツ製の石炭ストーブが発売されます。これは投げ込み式のようにひんぱんに石炭をくべなくてもよく、灰も舞い上がらなかったのですが、なにせドイツ製、サイズが大いのと高価(今の高級ベンツ並!だったとか)だったことから庶民には手が出せなかったそうです。
 

ドイツ製の貯炭式ストーブで「ユンケルストーブ」▲ドイツ製の貯炭式ストーブで「ユンケルストーブ」と呼ばれていました
 

しかし、当時の道産子はやってくれました!白石村(今の札幌市白石区)でレンガ製造を行っていた鈴木豊三郎が、1925(大正14)年に国産初の貯炭式ストーブ「フクロクストーブ」を完成。

 
国産初の貯炭式ストーブ「フクロク1号ストーブ」▲made in北海道、国産初の貯炭式ストーブ「フクロク1号ストーブ」
 
 
これが大人気となり、一般の家庭に広く普及されるようになったそうです。
ちなみに、JR白石駅の近くにある「やなぎ公園」の辺りに、鈴木豊三郎の工場があったそうで、その公園にはストーブのオブジェがたくさんあるとのこと。雪が解けたら、改めて取材に行ってみようと思っています。
 

「カマダストーブ」と呼ばれた貯炭式石炭ストーブ▲「カマダストーブ」と呼ばれた貯炭式石炭ストーブ。1931(昭和6)年頃のもの。昭和初期になると、デザインもしゃれてきました

 

「デレッキ」と「じゅうのう」

石炭ストーブの付属品といえば、ストーブ台、石炭箱、デレッキ、そして、じゅうのう。自宅や学校の暖房が、昔は石炭(あるいはコークス)だったという世代の人たちには懐かしいでしょう。学校では、毎日日直が石炭小屋から教室に石炭を運んだものです。そして、昔の家には物置の他に石炭小屋があり、悪いことをすると「石炭小屋に入れるよ!」と叱られたものです…昭和だなぁ。
 
 
石炭箱▲石炭箱


じゅうのう▲じゅうのう
撮影:チバ
 

デレッキ(デレキ)▲デレッキ(デレキ)
撮影:チバ

 

寒い冬でも室内は薄着でOK!ストーブは「厳冬の征服者」

ストーブが広く普及し始めると、他社との差別化を図るため「うちの製品は、こんなに性能がいいですよ!」と宣伝が始まります。

 
センターストーブカタログ表▲センターストーブカタログ表
 

センターストーブカタログ裏▲センターストーブカタログ裏。製品の特徴や性能などが詳しく紹介されています
 
 
センロクストーブポスター▲センロクストーブポスター。外は雪、でもストーブがあれば、こんな薄着でも大丈夫!と言いたいのでしょう。
※函館市中央図書館所蔵
 

フクロクストーブポスター▲フクロクストーブポスター。こちらは裸、まるでサウナのようです
 

フクロクストーブポスター▲フクロクストーブポスター。キャッチコピーは「厳冬の征服者」。それほど、ストーブの暖かさは画期的なものだったのでしょう
※函館市中央図書館所蔵
 

囲炉裏やこたつのような暖を取るだけのものから、暖房器具は薪ストーブ、石炭ストーブと進化し、また住宅事情も格段に性能アップした北海道の冬の暮らし。今は、灯油、ガス、電気などさまざまなエネルギーが選べ、暖房器具も多種多様。氷点下の冬を越すのに生死がかかっていた時代から比べたら、今は本当に快適で、冬や寒さを楽しむ余裕も出てきました。先人たちの苦労を思うと、今北海道に暮らす私たちは、性能の良い暖房器具や暖かい家があることに感謝しなければなりませんね。
 
北海道博物館では、2月3日~3月31日まで第7回企画テーマ展「あったかい住まい 北海道・住まいの道のり」を開催。北海道の住まいが目指したもの、あったかい住まいへの実現などがパネルや展示物で紹介されます。観覧は無料なので、機会があれば足を運んでみてください。総合展示(有料)にもさまざまな暖房器具が紹介されていますよ!
 

北海道博物館の総合展示「第3テーマ 北海道らしさの秘密」に展示されているストーブ▲北海道博物館の総合展示「第3テーマ 北海道らしさの秘密」に展示されているストーブ
撮影:諏訪智也

 
参考文献:「ストーブ博物館」新穂栄蔵著(北海道大学図書刊行会)

 

関連リンク

北海道博物館
北海道開拓の村

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