咸臨丸が眠るサラキ岬で、幕末維新の歴史に想いを馳せる



津軽海峡を望むサラキ岬は、木古内町の名所の一つ。明治時代に軍艦「咸臨丸(かんりんまる)」が沖合で座礁して沈没、未だ海の底に眠っていると言われています。咸臨丸のモニュメントが目をひくサラキ岬を訪ね、幕末と維新の歴史に想いを馳せました。

 

国道沿いにあるサラキ岬は、海の難所

サラキ岬へは、函館市街地から車で約1時間、木古内駅からは約20分で行くことができます。函館と木古内を結ぶ国道沿いなので、目にとまりやすく訪れやすい場所です。





岬と聞くと急峻な崖や突端のイメージがありますが、サラキ岬を訪れると「あれ、ここが岬?」と感じてしまうほど先端という印象はあまりなく、意外となだらかな地形に感じられます。
ところが、岬から海中に向かって浅い岩礁が続いているため、岬の沖合は海の難所として知られているところ。岬の周辺では、過去何隻もの船が座礁したと言われています。その中でも代表的な船が「咸臨丸」です。




 

幕末と維新の歴史の波間を渡った咸臨丸

咸臨丸は、江戸幕府がオランダに発注して1857(安政4)年に建造された軍艦。日米修好通商条約の批准のため渡米する要人の随伴艦として太平洋を横断したほか、小笠原諸島への調査団派遣などで活躍をしました。
ところが、戊辰戦争が始まると、他の軍艦に比べて装備が劣っていたため、本州と北海道との間を結ぶ物資運搬船として使われるようになりました。

 



明治時代に入ると、咸臨丸は新政府により接収され、北海道開拓民の輸送船として使用されるようになりました。
1871(明治4)年9月、咸臨丸は約400名の人たちを乗せて仙台から函館を経由して小樽へ向かう途中、サラキ岬の沖合で座礁。乗船者は地元の人たちに全員救助されて難を逃れたものの、咸臨丸は数日後に沈没してしまいました。

サラキ岬沖合の海底には、今も咸臨丸が眠っていると言われています。





激動の時代の荒波にもまれた咸臨丸。その栄枯盛衰を後世に伝え残そうと、サラキ岬にはモニュメントのほか、石碑や案内板などが設置されています。




 

5月は5万球ものチューリップが花開きます

近年、咸臨丸がオランダで誕生したことからオランダの国花であるチューリップの球根が寄贈され、花壇が整備され始めました。現在では毎年5月になると約5万本ものチューリップが花開き、咸臨丸の周囲を鮮やかに彩ります。











現在では、北海道の春の花名所の一つとしても知られるようになり、多くの人たちが訪れます。チューリップの花が見られない時期でも、幕末と維新の歴史に想いを馳せる人たちが多数訪れます。





サラキ岬からは、空気が澄んだ日は左に函館山、右に矢越岬が見え、津軽海峡を挟んで津軽半島や下北半島も望むことができます。





大海原を眺めていると、この地には壮大な歴史物語が流れているように感じてきました。想いは広がり、いつしかそれは妄想に!?
函館と木古内の間のドライブ中、車を停めて降り立ち、ぼんやりと歴史ロマンに浸ってみませんか?