2016年08月17日 | チバタカコ

昭和新山誕生を見続けた男。「三松正夫記念館」

昭和新山と三松正夫銅像  

洞爺湖畔にある有珠山の噴火によって誕生した「昭和新山」。その昭和新山誕生の一部始終を観察し、記録したのが、当時壮瞥郵便局長だった三松正夫です。彼が記録した新山成長記録「ミマツダイヤグラム」は、世界から絶賛を浴びました。

 

洞爺湖温泉の源泉を発見し、昭和新山誕生を見つめた三松正夫

昭和新山の麓、広い駐車場やお土産屋などが建ち並ぶエリアに、ちょっとだけ奥に引っ込んだような場所があり、そこに三角屋根の建物が、ちょこんと佇むようにあります。これが、三松正夫記念館です。

 
三松正夫記念館▲三松正夫記念館
 

三松正夫は、1888(明治21)年、伊達に生まれ、1904(明治37)年に郵便局員となります。1910(明治43)年に、有珠山の噴火を体験し、その調査に来ていた東京大学の地震学者、大森房吉教授の案内などを務めたことがきっかけで、火山学や地学へ造形を深めたそうです。1917(大正6)年に、洞爺湖畔に熱い湯が湧きでているのを発見。これが、今年開湯100周年を迎えた洞爺湖温泉です。
そして、1943(昭和18)年~1945(昭和20)年、三松の運命を決めたと言っても過言ではない2度目の有珠山噴火を体験します。昭和18~20年といえば、日本は戦争の真っ只中。壮瞥郵便局長となっていた三松の公務は多忙を極め、食糧もなければ、物資も衣服もままならない、そんな時に「噴火だ!大変だ!」と言ったところで何もできず、逆に噴火は、日本の機密保持案件として情報を発信することもできなかったそうです。
しかし三松は、大森教授の「地震データは噴火予知に役立つ。噴火は、地球の内部を探る最大のチャンス」という教えに従い、独自に観測を開始しました。
 

昭和新山の山麓にある、三松正夫の像▲昭和新山の山麓にある、三松正夫の像

 
三松が行ったのは定点観測で、同じ場所、同じ位置に、台の上にあごを乗せて視点がずれないように固定し、水平に張った糸で火山の形状の変化を計測するというオリジナルの方法でした。その結果、有珠山噴火に伴い畑が隆起し、もこもこと新山が盛り上がってできあがる火山活動の一部始終を観測し、貴重な記録を残すことになりました。この時に観測した新山が、昭和新山です。
 

昭和新山▲昭和新山

 

世界でも類を見ない貴重な火山資料、ミマツダイヤグラム

三松が観測した場所は、当時の壮瞥郵便局舎裏。実は、壮瞥町の道の駅「そうべつ情報館i」の2階にある「火山防災学び館」に行くと、三松が観測したのとほぼ同じ場所から昭和新山を見ることができます。
 

壮瞥町の道の駅「そうべつ情報館i」  ▲壮瞥町の道の駅「そうべつ情報館i」
 

壮瞥町の道の駅「そうべつ情報館i」  ▲2階にある「火山防災学び館」から昭和新山が見えます
 

壮瞥町の道の駅「そうべつ情報館i」  

壮瞥町の道の駅「そうべつ情報館i」  

 この位置から観測してつくりあげたのが「ミマツダイヤグラム」と呼ばれる新山生成記録です。三松正夫記念館には、その「ミマツダイヤグラム」が展示されています。
 

三松正夫記念館のミマツダイヤグラム▲三松正夫記念館のミマツダイヤグラム
 

三松正夫記念館のミマツダイヤグラム

三松正夫記念館のミマツダイヤグラム

その横には、ミマツダイヤグラムの原図となった定点観測スケッチも紹介されています。

 
三松正夫の定点観測スケッチ▲定点観測スケッチ
 

三松正夫の定点観測スケッチ▲近くで見ると、とても詳細に記録されているのがわかります

 
今なら、カメラや動画撮影で簡単に記録できますが、戦時中の何もものがない中で、独創的な手法で火山観測をし、記録を残した三松正夫の功績は、1948(昭和23)年にノルウェーのオスロで開かれた万国火山会議で専門家から高く評価されました。「ミマツダイヤグラム」は、その時に名付けられたそうです。

 

三松正夫の心を伝えるために

有珠山はその後、1977(昭和52)年、2000(平成12)年に噴火します。三松は、1977(昭和52)年に自身3度目の有珠山噴火を体験し、同年12月、満89歳で逝去しました。
 

三松正夫記念館内観▲記念館に入るとすぐ、定点観測をする三松正夫の像が出迎えてくれます
 

三松正夫記念館内観

三松正夫記念館内観▲館内には、三松が残した資料や遺品、火山に関する資料などが多数展示、紹介されています
 

ところで、昭和新山は畑が隆起して誕生した山です。ということは、畑には持ち主がいたはずです。すると、昭和新山はその畑の持ち主のものになるのか?という疑問を、三松正夫記念館館長の三松三朗さんにぶつけてみました。
 

三松正夫記念館館長の三松三朗さん▲三松正夫記念館館長の三松三朗さん。現在の昭和新山の所有者です
 

「昭和21年に、三松正夫さんが昭和新山を買い取りました。それは、正夫さんの昭和新山への愛着だったのだと思います。この記念館は、正夫さんの心を伝えるためのものであると同時に、火山を恐れるだけではなく、火山からは豊かな恵みが得られるということを知ってもらうためのものでもあります」。
そして、「ここは世界で一番小さな火山博物館で、野外展示場は昭和新山です」と語ってくれました。
 
最後に、三松正夫記念館にあったパラパラミマツダイヤグラム(一冊300円)で、昭和新山が大きくなる様子をパラパラしてみました。

 
 

関連リンク

三松正夫記念館
洞爺湖有珠山ジオパーク

\見たい!見るべき!と思ったら「なまらいいね!」/

この記事をSNSでシェアしよう!
  • 昭和新山誕生を見続けた男。「三松正夫記念館」
  • Google+

FacebookのIDを利用して、北海道Likersへ登録します。

北海道Likersは、北海道を愛する皆さんと北海道を盛り上げるコミュニティです。

  • 利用規約に同意の上ご登録ください。
  • FacebookのIDで簡単に登録できます。登録は無料です。
  • Facebookに設定しているメールアドレスを登録します。お客様のメールアドレスは、北海道Likers運営からの連絡に利用いたします。
Title
Close