『北海道主要樹木図譜』石版画

『北海道主要樹木図譜』は、東北帝国大学農科大学(今の北海道大学農学部)で大正9年から昭和6年にかけて発行された樹木の図鑑です。精緻な絵と美しい構図。学術的資料でありながら、芸術的にも優れたこの図鑑は、北海道の隠れた文化遺産といえます。『北海道主要樹木図譜』はなぜ生まれたのか?北海道の時代背景とともに紐解いていきます。

 

北海道林業の基礎 




大正2年に、北海道庁が東北帝国大学農科大学に主として東日本に生息する樹木についての解説と図譜の制作を依頼。初代の北大植物園長で植物学者の宮部金吾(みやべきんご)、同じく植物学者で助教授の工藤裕舜(くどうゆうしゅん)を中心に、樹木図譜の制作がはじまりました。

当時の北海道は、人口の増加に伴い、内陸の開拓や、都市部の近代化が急速に進められていた時期。道庁がこの主要樹木図譜の制作を依頼したのは、家屋の建築や鉄道の整備、洋紙の生産など、あらゆる場面で樹木に対する知識が必要不可欠となっていたからだと考えられます。


図譜は全部で86枚ありますが、1冊の本としてまとめて刊行されたものではなく、大正9年から昭和6年の間に、図版に日本語・英語の解説文を添えて28回に分けて発行されました。

 


 

18年の歳月をかけて86枚の図版が完成

『北海道主要樹木図譜』の最大の魅力は、道庁の画工・須崎忠助(すざきちゅうすけ)によって精緻に再現された樹木の絵。枝、葉、種子、芽、花などの形態が、1枚の絵の中に見事な構図で配置されているのが特徴です。
当時はこの見せ方が主流だったのかどうかは分かりませんが、このような手法は今見ても斬新で、とても興味深いものになっていると思います。

1枚の絵を描きあげるのに、須崎忠助はどれほど樹木の前に足を運んだことでしょう。春の芽吹きから、わずかな開花時期、冬芽まで記載されているものもあります。
助教授の工藤裕舜は、実物の樹木の色を再現することを求め、何度もやり直しを命じたとも言われています。

道庁の依頼(大正2年)から7年後に最初の図版を発行。86枚の図版の完成(昭和6年)まで、トータルで18年の歳月をかけて製作されました。
なぜここまでの時間と労力をかけて製作されたのか。『北海道主要樹木図譜』の諸言の中で、宮部金吾と工藤裕舜は以下のように述べています。

「本図譜ノ説明ハ主トシテ本道ニ於テ採集セル材料ニ就キ忠実ニ記載セルモノニシテ今後更ニ研究ノ結果種名ノ変更セラルル場合ヲ生ズルコトアルモ記載及図譜ハ変更スル要ナカルベシ」

最後の一文「記載の図譜は変更する要なかるべし」という言葉に、植物学者としての強い自信と誇り、未来永劫に渡って通用する植物図鑑を完成させるという覚悟のようなものが感じられます。

 





 


 

幻の石版画

印刷は、今ではほとんど見ることのできない石版印刷という技法で刷られており、その独特の味わいは『北海道主要樹木図譜』の魅力でもあります。須崎忠助が描いた緻密な絵を、石版印刷によってどのように色を重ねることができたのか、残念ながら詳細は分かっていませんが、彫師や刷り師といった職人の手によって刷られたものと考えられています。
印刷は東京の会社で行われており、須崎忠助の原画や、原版の石版は、関東大震災と東京大空襲によって失われています。『北海道主要樹木図譜』の石版画は、300部ほどしか発行されていない幻の図版なのです。

 

『北海道主要樹木図譜』展示会

この図版に魅入られ、個人で『北海道主要樹木図譜』の石版画を収集しているのが、東京在住の酒井孝雅さん。美術に造詣の深い酒井さんは、東京の書店で『北海道主要樹木図譜』の存在を知り、「北海道にこんな文化的価値を持つ著作物があったのか」と衝撃を受け、数年をかけて図版と関連する情報を収集。北海道の人にこの樹木図譜を知ってもらおうと、2011年には札幌で無料の展示会を開催しました。

 


 



学術資料の枠を超え、今も鮮やかな色彩を放つ『北海道主要樹木図譜』。18年の歳月をかけて製作された重みを感じると同時に、今では再現することのできない石版画の素晴らしさ、須崎忠助が描いた絵の精巧さなど、さまざまな魅力を感じることができます。

2016年3月下旬には、酒井孝雅さんが『北海道主要樹木図譜』展示会を東京で開催します。
興味を持った方は、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。直に見ることで、より一層『北海道主要樹木図譜』の魅力を肌で感じることができると思います。

 

関連リンク

北の美術館
酒井孝雅さんの個人サイト。「ギャラリー」にて86枚すべての植物図譜を見ることができます。