チャレンカ伝説とシララ伝説~積丹半島(4)



源義経は、史実では奥州平泉で自害したことになっていますが、実はそれは影武者で、本人は北海道に逃げてきたという伝説が、道内各地にあります。積丹にも義経伝説があり、しかもそこには、アイヌの娘との悲恋が…。

 

チャレンカ伝説が女人禁制のきっかけに!?

奥州から密かに蝦夷地に渡った義経は、日高の平取(びらとり)にたどり着きました。そこで、首長の娘チャレンカと恋仲になります。しかし大きな野望を持つ義経は(これが、義経がモンゴルへ渡ったというジンギスカン伝説につながるようです)、チャレンカを置いて旅立ってしまいました。
それを知ったチャレンカは、すぐに後を追い、積丹半島で追いつきました。神威岬の先端までやってきたチャレンカが目にしたのは、義経を乗せた船がすでに遥か沖の方で遠ざかり、少しずつ見えなくなっていく姿でした。
悲しみにくれたチャレンカは、「和人の船、婦女を乗せてここを過ぐればすなわち覆沈せん」という恨みの言葉を残し海に身を投げてしまいました。
やがてチャレンカの悲しみが岩と化し、神威岩になったと伝えられています。





以来、神威岬周辺で女性を乗せた船が通り過ぎようとすると、必ず転覆したことから、明治時代初期まで女人禁制の地とされていました。





義経を追って、チャレンカが岬の先端まで歩いたのがこの道…かどうかはわかりませんが、神威岬の遊歩道は「チャレンカの小道」と呼ばれています。






撮影:チバタカコ

 

シララ伝説と女郎子岩

頼朝軍に追われ、義経がたどり着いたのは、積丹町入舸(いりか)。そこで義経は、首長の娘、シララと恋仲になりました。
(あれ?このくだり、チャレンカと同じじゃないかい?)
しかし、大望を胸に大陸を目指した義経は船を出し旅立ちます。
(ますます、チャレンカと同じだべ!)
それを知ったシララは、岩をよじのぼり、絶壁の上から泣き叫びましたが、その声が義経に届くことはなく、船が離れていくのを見て海に身を投げてしまいました。波間に沈んだかと思うとシララは浮かびあがり、 そのまま岩になったということです。
それが「女郎子(じょろっこ)岩」です。
(まるまるチャレンカだべさー!)





女郎子岩は、島武意海岸トンネルのあるところからか、あるいは幌武意町から遊歩道「シララの道」を歩いていくと見ることができます。





チャレンカとシララは、どっちが先に義経に出会ったのか?2人とも大陸を目指した船を追いかけていったという話から、義経に二股疑惑が浮上!?…という、下世話な妄想は、ここではやめておきましょう。
チャレンカもシララも、義経に置き去りにされ、悲しみのあまりに海に身を投じ、その姿が岩になったという伝説です。あくまでも伝説ですが、吸い込まれそうな積丹ブルーの海や奇岩を見ていたら、そんなロマンチックな伝説が生まれても不思議ではないと思いました。

 

関連リンク

積丹観光協会

 

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