寒地稲作の発祥地を訪ね北広島へ。「旧島松駅逓所」



北海道はいまや新潟に次ぐ米どころ。かつて北海道での稲作は、不可能といわれた時代があったことをご存知でしょうか。寒地で米づくりに挑み、島松の地で初めて水稲栽培に成功し、赤毛種を広めた偉人、中山久蔵。彼が暮らした旧島松駅逓所を、北広島市に訪ねました。

 

森に包まれた国指定史跡、旧島松駅逓所

クルマで旧島松駅逓所(以下:駅逓所)に向かう場合、札幌の市街地から北広島方面へ国道36号線を走ります。恵庭市と北広島市の市境近くにさしかかると、起伏のある山林や笹原の風景が車窓に見えてきます。ここ島松地区で、国道の本線から西に折れ、谷間に3分ほど下ると、駅逓所の建物が木々に包まれるようにして現れます。





木造平屋建切妻造の建物は、1984(昭和59)年から保存修理工事を開始。一旦解体したのちに、明治時代の図面から復元されました。1990(平成2)年の復元完成から今年で25年。貴重な建物で村井明さんが迎えてくれました。





北広島市ボランティアガイドで、駅逓所の管理人でもある村井さんは、訪れる人びとをお出迎え。ガイドになって5年目という知識は豊富で、駅逓所が置かれた時代背景など、深いことまで知ることができます。ガイド係を見つけたら、ぜひ話してみましょう。

 

行在所の栄を賜った中山家

まずは建物の内部を拝見。「本州にはかつて旅籠(はたご)がありましたが、交通が不便だった北海道には旅籠に近い施設、駅逓所がありました。函館・室蘭・札幌を結ぶ札幌本道がつくられた1873(明治6)年、駅逓所はこの場所からやや恵庭市に近いところに建ちました。駅逓所は人や荷を運ぶ馬を揃え、郵便の取次や宿泊機能を果たし、往来する人に利用されました。中山久蔵宅は、現在の駅逓所の位置に同じ年に完成。大きな農家の住宅で宿も兼ねた建物は明治10年、札幌農学校の教頭クラーク博士がアメリカに帰国する際、久蔵の家で昼食をとり、学生たちと別れた場となりました」(村井さん談)





大坂の旧家の農民出身の中山久蔵は青年期、伊達家の仙台藩ゆかりの片倉家に仕え、白老と仙台を往復する中で、北海道での農業指導を決意。1871(明治4)年、千歳郡島松沢に入植しました。2年後には赤毛種での水稲栽培に成功。その時の久蔵の住まいが大まかにいって現在の駅逓所の左半分。大きな建物です。

久蔵は53歳の時に大がかりな家の普請を実行。それは明治天皇の行幸に伴う行在所(あんざいしょ)を、久蔵が取り仕切ることとなったためでした。開拓使から要請があり、久蔵は巨費を投じて約300名の随員を迎える準備を整えたのでした。行在所の部分がいまの駅逓所の右の部分にあたります。一番力を入れたのは、天皇が休憩と昼食に使った座敷。他の部屋とは別格の雰囲気を醸しています。明治天皇は北海道の殖産興業視察のために、1876(明治9)年と1881(明治14)年に来道しています。久蔵が出迎えたのは2度目の来道、明治14年9月のことでした。





行幸から3年のちの1884(明治17)年に、開拓使は久蔵の労苦に報いるべく島松駅逓所の取扱人に任命。「駅逓所の運営でお金が入ることで、行在所に大きなお金を使った久蔵に、金銭面で穴埋めができるよう配慮したのでしょう」と村井さん。56歳の久蔵は取扱人を命ぜられ、島松駅逓所の1897(明治30)年の廃止に伴い、任は解かれました。現在、駅逓所の向かいの民家には、久蔵の子孫が暮らしています。駅逓制度自体は敗戦後まで続き、1947(昭和22)年に廃止されました。




 

中山久蔵の人となり

駅逓所の部屋や居間など、暮らしぶりがわかる部屋を巡ると、久蔵は地位や名誉よりも実利を重んじた人であることが感じられます。「久蔵さんは水稲栽培の成功で、明治政府や開拓使から礼状や賞状が下賜されると、人目に触れない座敷ではなく、囲炉裏の部屋の壁に貼り、訪問者に見てもらったようです。おかげで現存する紙の資料は、煤けていて状態はよくないですが、彼の人柄を見るようですね」(村井さん談)。





夏の駅逓所は涼しい風が通り、観光地の賑わいとは別のゆったりとした時間を過ごせる場所。「建物の外だけ見学する人は年間で約7,000人。駅逓所の建物の中にも入る人は半分の3,500人ほどです。ぜひ内部も見学していただきたいですね」と話す村井さん。縁から見る裏庭は、春から夏に向けてツツジ、藤、ヤマユリ、ハスの花が次々と咲きます。ハス池も見頃の時期には花好きな女性に人気とのこと。外も中も見て、久蔵の暮らしを感じてみましょう。




 

市民の宝物、旧島松駅逓所と「赤毛種米」

中山久蔵は140年あまり前に10アール(約30坪)の水田をここにつくり、寒い北海道では育たないとされた赤毛種米の栽培に成功しました。久蔵が北海道中に無償で広めた赤毛種米は、土地に入植した人を飢えから守り、その種籾はのちに品種改良で多くの米の原種となりました。子孫のお米には「ゆめぴりか」があるそうです。








赤毛種米での稲作は、地元輪厚(わっつ)の西部小学校の児童が例年田植えをするほか、「北広島市赤毛種保存会」メンバーの農家有志が中心となり、赤毛種の栽培が綿々と続いています。地元小学校での給食には、年に数回の登場ですが、収穫された赤毛種の米飯が出されます。
北広島の市民にいまなお愛されている中山久蔵。彼の暮らしを、島松の里に訪ねてみませんか。



 

交通アクセス

(1)マイカーで
道央自動車道「北広島IC」を下車し、国道36号を千歳方面へ8km、約15分。または「輪厚スマートインターチェンジ」を下車、国道36号を千歳方面へ5km、約10分。看板あり、駐車場完備

(2)路線バスと徒歩で
北海道中央バス 札幌バスターミナル発「急行千歳線」里塚中央経由に乗車し「島松ゴルフ場」または「島松沢」で下車、徒歩約10分(※運行本数が少ないのでご注意ください)

北海道中央バス株式会社

(3)JR駅からタクシーで
千歳線「島松駅」からタクシーで約10分