「函館西部地区の街並み」函館市:北海道遺産シリーズ(20)

 
 
函館は、横浜、長崎とともに諸外国に向けて最初に開港しました。1859(安政6)年、国際貿易港としての開港と同時に運上所(税関)が設けられ、函館のまちは函館山のふもとの西部地区から始まりました。函館の人々は外国人がもたらした異国の文化を柔軟に取り入れ、和風と洋風の建物が融合した独特の味わいをもつ街並みをつくっていきました。
 
 
 
 
日本の玄関口としていち早く世界に開かれた函館には、言葉も文化も違う外国人が住み始めます。外国の建物など見たことも無く、伝統的な日本の建築の知識と技術しか持っていなかった当時の大工たちは、外国人の指導のもとで教会や領事館などの洋風建築に取り組み、その後、宣教師や外国人商人の洋風住宅建築も依頼されるようになり、異国情緒あふれる函館の街並みの基礎がつくられていきます。今も残るたくさんの洋風の建物は、先人たちが並々ならぬ苦労や知恵を重ねながら技術を習得して造り上げたものなのです。
 
 
 
 
函館が最も繁栄していた明治末期から昭和初期の歴史的な建物が多くみられるのが、当時の函館の豊かさを象徴する銀行や商社、問屋などが集中していた末広町。旧金森洋物店(現市立函館博物館郷土資料館)をはじめ、旧日本銀行函館支店(現函館市北方民族資料館)や相馬株式会社などの古いながらも立派な建物が今も活用されて残っており、このあたりがまちの中心地だったことを物語っています。
 
 
 
 
かつては、洋風の建物ばかりでなく和風の建物も多かった街並みでしたが、1878(明治11)年と翌年の2年続けて起きた大火の後に大きく変わっていきました。海に囲まれたこの土地は風が強いためひとたび火事が起きると大火になりやすく、このころから防火に強い煉瓦の建物や、1階を和風、2階を洋風のつくりにした「上下和洋折衷(擬洋風)」様式が商店に限らず庶民の町家にも広まっていきます。
特に、1907(明治40)年、当時の全戸数の約半分の1万2千戸もが焼失する大火の後に建て直された建物に、この様式が多く取り入れられました。洋風の壁は板張りにペンキ塗りで仕上げるものが多いですが、防火対策として使用されたレンガづくりの建物にも表面に白い漆喰を塗って仕上げられており、西洋の建物を彷彿させる建物の色合いも相まって周りの景観と溶け込む演出がなされています。
 
 
 
 
現代まで大事に受け継がれてきた函館西部地区の街並み。そこでは古い建物が、住居以外にもカフェや雑貨店として今も活躍しています。何度も塗りなおされたペンキの跡や手入れが行き届いたしつらえの様子から、歴史や伝統を守り伝えていこうという函館市民の想いをくみ取ることができます。
 
 
 
 
これからあたたかい季節を迎え、北海道でも一足早く桜を楽しめる函館。まち歩きの中で個性豊かな建物との出会いを通して、先人たちから受け継いできた歴史に思いをめぐらせてみては。
 

関連リンク

函館市公式観光情報サイト「はこぶら」
函館開港150周年記念事業公式ウェブサイト「ハコダテ150」
函館市史デジタル版

 

北海道遺産

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