2015年02月08日 | すすきのあき子

小樽で見つけた春色。「群来(くき)る」海の白

群来た海が見られた小樽市の朝里海岸
 
 
昭和20年代に北海道で姿を消したニシン。ここ10年ほどはニシンの漁獲が増えており、産卵行動で沿岸が白く染まり「群来(くき)る」さまは、北海道に春を告げる光景です。海が群来る様子について、小樽市総合博物館の石川さんと山本さんに聞きました。

 

海一面が真っ白に?!

小樽市の国道5号線から撮影した朝里海岸での群来の様子
▲2012年2月26日の午後に国道5号線から撮影した小樽市朝里海岸の様子。海水が白濁し、群来ていることがわかります(撮影:小樽市総合博物館)
 
 
近年12月から3月頃にかけて数度、小樽ではまれに群来ている光景が観察されています。群来なかった年もあり、毎年起きる、あるいは毎日見られるなどの約束が一切できない自然現象。ですから博物館に勤める学芸員の中にも、実際の群来た海をまだ見たことがない人もいるとのこと。今回は、小樽市総合博物館で過去に撮影した写真でご紹介します。
 
 
おたる水族館のニシン水槽
▲こちらはおたる水族館のニシン(撮影:すすきのあき子)
 
 
群来て海が泡立つ朝里海岸の様子
▲オスの放精で泡立った海岸(撮影:小樽市総合博物館)
 
 
「ニシンは産卵期になると、ホンダワラなどの海草が豊富な浅い浜辺に集まり、メスが卵を産み付けてオスが放精します。この産卵行動で海面が白濁することを「群来る」というのです。群来たことを知るには、カモメが乱舞しているなど海の変化に注意を払うことが大事で、私もまだ6回くらいしか、群来た海を見ていません」(石川さん談)。
 
 
小樽市の海岸で起きた群来の様子
▲群来た!という一報で駆けつける間にも、波が高いと薄まってしまいます(撮影:小樽市総合博物館)
 
 
「私の経験で言うと、ひな祭りの時期近くに群来ることが多い印象があります。博物館でひな祭りの飾り付けに忙しくしている時に、『群来た!』という知らせが入ることが数度ありました」と語る石川さん。
現場に駆けつける間にも、波に拡散されて白濁はどんどん薄まってしまいます。地元の新聞社では、発生の報が入るとヘリを飛ばして空撮するくらい、群来る海の様子は珍しい現象なのです。私達が見るのがいかに難しいかが伝わってきますね。
 
 

ニシン資源のむかし・いま

1897(明治30)年、北海道全域でニシンは約130万石(約97万t)も獲れ、近代以降の統計で最高の漁獲高を記録しました。かつては大型のものが獲れたようですが、ニシンは忽然と姿を消しました。理由は乱獲や海水温の上昇など諸説あり、そのためいまのニシンは、当時のものとは種類がやや異なるようです。最盛期のニシン漁は2月から5月まで行われ、本州各地から多くの出稼ぎ人がニシン漁と加工に雇われ、田植えの時期に間に合うように、親方から得た賃金を手にそれぞれの村に戻ったといいます。
 
 
小樽市総合博物館運河館のニシン展示を説明する山本さん
▲ニシンは豊漁不漁の差が激しい魚種。「1954(昭和29)年を最後に獲れなくなりました」(山本さん談)
 
 
かつては道内の日本海沿岸に、ニシン漁で賑わった村がたくさんありました。泊村から小樽に移築された旧田中家、余市町の福原漁場、留萌市の旧佐賀家漁場、小平(おびら)町の旧花田家番屋など、現在も多くの歴史的に貴重な番屋が残っています。浜でのニシン加工はどんな様子だったのか。博物館では運河館で、当時使われていた道具や屏風絵をわかりやすく展示しています。
 
 
小樽市総合博物館運河館のニシン漁に使用した道具の展示
▲ニシンの建網漁(たてあみりょう)を説明したジオラマと、漁や加工に必要な道具類。モッコという木の背負子には、なんとニシンの鱗が貼り付いたまま!
 
 

ニシンで賑わった漁村

ニシンで賑わった、名だたる生産地と消費地とをつないだのが北前船(きたまえぶね)、「1航海千両」と言われた買積船(かいづみせん)で、いま風に言えばさながら“海の総合商社”ともいうべき船です。
 
 
小樽市総合博物館運河館の北前船の模型
▲ニシンの〆粕を本州各地に運んだ北前船の20分の1模型
 
 
小樽市忍路(おしょろ)の集落の古い写真
▲1900(明治33)年の忍路(おしょろ)村(現小樽市忍路)。帆を下ろして沖に停泊するのが北前船
 
 
この古い写真もニシンの盛業をよく表しています。忍路は江戸時代後半、ニシンの漁期のみ道南から漁夫が集まる集落でした。江戸時代の末期に定住者が増えて、北前船やニシン漁の拠点の集落となりました。石置き屋根の多くは、ニシン漁に携わる人の住居や、交易に携わった商家。かつてはニシンが獲れに獲れ「金の使い道に困る」といった逸話が道内各地に残るほど、大きな経済効果を生みました。そんな隆盛の様子が伝わるのがこちら。
 
 
小樽市総合博物館運河館所蔵の「鰊盛業屏風」
▲久保田金僊(くぼたきんせん)1903(明治36)年作の「鰊盛業屏風」(にしんせいぎょうびょうぶ)
 
 
「1903(明治36)年に描かれた『鰊盛業屏風』、この屏風は六曲一双で、向かって左から右手方向にかけて、ニシンを陸(おか)に上げて加工する小平の番屋のさまを描いています」と話す山本さん。全幅およそ8m、じっと見入っても飽きない筆致で、当時の漁の賑わいを緻密に描き込んでいます。
 
 
小樽市総合博物館運河館の「鰊盛業屏風」の拡大図
▲モッコを背負う人やカモメの乱舞に、往時の盛業がうかがえます
 
 
小樽市のニシン漁を紹介した古い絵はがき
▲足の踏み場もないニシン加工の様子を紹介した絵はがき。「北海道鰊漁光景」として90余年前に発行され「仮納家(かりなや)に山を成す鰊」との記載があります
 
 
明治時代、ニシンは9割が魚肥としての用途でした。いまと同様、食料との認識は当時ありましたが、それ以上にニシンは畑の肥料という認識だったのです。ニシンは煮て圧搾し、乾燥させパウダー状にして〆粕に加工。北前船で西日本に運ばれて高値で売られ、藍や養蚕に必要な桑の葉、綿、菜種を栽培する肥料に重宝されました。127年前の明治中期の記録には「肥料は鯡粕(にしんかす)の外なきもの」という賛辞が残っています。
 
 
小樽で起きた過去のニシンの群来を写した古い写真
▲82年前に群来た小樽市の張碓(はりうす)海岸の写真。くの字形に浜が広がる浜に打ち上げられたニシンをすくいに来た人達
 
 
「この写真は1932(昭和7)年4月17日に張碓海岸で群来た様子を撮影したものです。網を持っている人達は、白濁した海に入って直接ニシンをすくい取っています」(山本さん談)。浜に押し寄せるニシンに、村は喜びに沸き立ったことでしょう。
 
北海道が春めく頃、小樽の海がよく見える日は、ぜひ豊かな想像力を駆使して、一面に群来る海を心にイメージしてみてはいかがでしょう。
 
 
小樽市の海岸で起きた群来の様子
 

小樽市総合博物館・運河館 交通アクセス

(1)JR札幌駅から列車で
JR札幌駅から快速エアポート(所要時間30分強)か普通列車(約50分)にてJR小樽駅で下車。駅前中央通りを小樽運河に向かって約600m進む。突き当たり交差点の左手「小樽運河プラザ」に隣接する石造りの建物が、小樽市総合博物館・運河館。徒歩約8分。
 
(2)JR札幌駅からバスで
JR札幌駅に隣接の「エスタ」バスターミナル1Fの1番乗り場から始発の「高速おたる号」に乗車。始発以外に市内8箇所のバス停からも乗降可。札樽自動車道を通り、終点JR小樽駅ターミナルまで1時間強。以下(1)を参照。

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