2015年01月03日 | nobuカワシマ

小樽にはなぜ餅屋が多い?老舗の餅屋「雷除志ん古」を訪ねて

小樽の餅屋「雷除け志ん古」の餅
 
 
小樽には昔ながらのお餅屋が数多くあります。なぜでしょうか。その理由とルーツを探りに、小樽市総合博物館と小樽の老舗餅屋「雷除志ん古(かみなりよけしんこ)」を訪ねてみました。
 
 

小樽にはなぜ餅屋が多い?

小樽のお餅のルーツを探るには、小樽の街の歴史背景が鍵です。
 
小樽は北海道の中では商業活動の歴史が古い街です。明治時代には、北前船(きたまえぶね)と呼ばれた交易船で東北地方や北陸地方、関西地方などとお米や海産物などの交易をする、北海道の拠点の1つでした。
明治10年代に入ると、小樽と開拓使庁が置かれた札幌や産炭地との間に鉄道が敷かれ、海運会社や倉庫会社も生まれ、小樽は北海道と本州をつなぐ物流の拠点として発展しました。
大正時代から昭和時代初期になると、小樽運河も完成して港はさらなる賑わいを迎え、荷下ろしや運搬のために労働者が多数小樽に集まりました。
 
 
昔の小樽の港
▲昭和初期頃と思われる小樽の港の風景(写真所蔵・提供:小樽市総合博物館)
 
 
当時の荷下ろしや運搬は、現在のようにクレーンやフォークリフトはないので人力で行われていました。働く人にとってはかなり過酷な肉体労働です。
そこで、港で働く労働者の間で、持ち運びしやすく手軽にエネルギー補給できるもの、しかも適度に甘く、安くて腹持ちもいいお餅が好まれるようになったそうです。
小樽にお餅文化が広まった背景には諸説ありますが、港湾労働者の間で好まれたということが有力な説として伝えられています。
 
 
昔の小樽の港
▲当時は物流の拠点として多数の貨物船が入港していたほか、本州各地や利尻、樺太(現在のサハリン)との定期航路もありました(写真所蔵・提供:小樽市総合博物館)
 
 
お餅の主原料はもち米。今でこそ北海道は美味しいお米が採れるようになりましたが、昔は北国での稲作は困難でした。
米どころではない北海道の小樽でお餅が作られた理由は、小樽が物流の拠点として栄えたため。豊富な海産物を本州へ送り、かわりに本州から美味しいお米が入ってきました。さらに、北海道各地で作られる小豆や砂糖(てんさい糖・ビート)が本州へ送るために鉄道で運ばれてきました。
お餅を作る原料が小樽に集まってきたということが、小樽のお餅文化を支えたもう1つの理由です。
 
 
昔の小樽の街並
▲昭和30年代の小樽の街。花園銀座と呼ばれる一角で今も商店街として賑わっています。現在は写真後方の位置にJRの路線が高架橋で横切っています(写真所蔵・提供:小樽市総合博物館)
 
 
小樽にお餅文化が広まった背景にはこんな点も。
商業港として多くの人が集まると、周辺には商店ができ、市場ができ、銭湯ができ、神社やお寺もでき、だんだん街が形成されていきます。特に小樽は坂の多い土地なので、小さな街が近隣各所にいくつもできました。
昔の商店では祝い事があるとお餅が配られ、冠婚葬祭ではお餅が備えられました。そのため、弔辞慶事の需要に応えるべくお餅屋も各所に誕生した、と言われています。
さらに、行商人の活躍もお餅文化の発展に一役買っていたようです。
当時の市場内やそのまわりには必ずといっていいほど餅屋があったそうです。行商人が鉄道で北海道の内陸地にある産炭地などへ行商する時、内陸地では手に入りにくく好まれるものを仕入れて運んでいました。それが、海産物や日用品とともにお餅でした。こうした行商人は昭和40年代近くまで活躍していたそうです。
 
このように、小樽のお餅文化については諸説ありますが、港として発展してきたことが大きく関係していたと言えます。
 
 

小樽の老舗のお餅屋「雷除志ん古」

JR南小樽駅から歩いて5分ほどにある「雷除志ん古」。江戸時代後期から営業を続ける、小樽に現存するお餅屋で一番歴史のあるお店です。
 
 
雷除け志ん古
▲雷除志ん古。創業当初は小樽市手宮にあり、現在は南小樽駅に近い小樽市若松に暖簾を構える
 
 
暖簾を守るのは、4代目の藤野戸(ふじのと)さん。20代の頃に先代からお店を引きつぎ約40年、創業以来の味を受け継ぎ守り続けています。
 
 
雷除け志ん古店主
▲杵こそ機械で打ち下ろしますが、餅つきは手作業。熟練の技と長年の経験がモノをいいます
 
 
餅の柔らかさや食感、大福のあんこの練り加減や味わいなどは、先祖代々江戸時代から続くもの。この店ではただ1人、4代目店主にしかしかできないという職人技だそうです。
 
 
雷除け志ん古のお餅作り
▲ついたお餅はすぐさま粉をつけて大福つくり。もちろんこれも手作業、1個分ずつ手でちぎって作っていきます
 
 
お餅屋さんの朝は早いです。こちらのお店は毎朝4時すぎには餅を作り始め、7時前には商品を並べられるようにしています。年末年始などお餅の需要が多い時期は、深夜12時位から準備を始めていかないと追いつかないのだとか。
 
 
雷除け志ん古のお餅作り
▲切り出した餅であんこを包みます。大福作りは家族総出、高校生の娘さんも早朝から大福作りの手伝いをしてから学校へ行っています
 
 
朝9時に行っても既に売切れという場合も多々あるという、とても朝が早いお店。訪れた時は朝7時30分にお店へお邪魔しましたが、早朝にも関わらず近所の方々が次々と立ち寄り買っていきました。1人で5個程度買う方もいれば、40個位まとめて買う方も。これから工事現場などで働くという風貌の方も訪れ買っていく様子は、昔の港湾労働者が買っていくかのような感覚です。
会社勤めの人や学生さんが出勤時や通学時に買っていくということも多いそうです。
 
 
雷除け志ん古のお餅
▲昔ながらの雰囲気が漂うショーケースに、できたて手作りの手作り大福が並びます。
 
 
作りたてを順番に店頭へ出していくので、全ての種類が揃っている時もあれば、一部の種類しかない、という時も多いのだとか。売切れになることも多々あるので、確実に欲しい場合や数多く頼みたい場合は、予め電話予約をしておくと確実。
 
 
雷除け志ん古のお餅5種
▲白、赤、豆、ゴマ、よもぎ、以上5種がこのお店の基本商品
 
 
雷除志ん古の大福は、ほどよい固さのお餅と、塩気があるあんこが特徴的。塩気が甘さを引き立てるので、甘ったるさやくどさがなくスッキリした味わい。まさに1日の労働の始まりや手軽な昼食にピッタリです。
 
昭和30年代に小樽の港湾業や商業がピークを迎える頃、お餅屋の数も街中に多数ありました。ただその後は港湾都市・経済都市としての地位を他の地へ譲り、観光都市として賑わうようになりました。
街の変化に比例するかのようにお餅屋の店舗数も年々少しずつ減ってきました。ただ、お餅文化は昔と変わらず小樽の街には根付いています。昔ながらの佇まいを残すお餅屋が朝から暖簾をかまえ、地元の人たちに重宝されています。
お餅や大福の味わいはお店ごとに異なるので、小樽の歴史を感じつつお餅屋を食べ比べしてみるのも面白いかもしれません。

\食べたい!食べるべき!と思ったら「なまらいいね!」/

この記事をSNSでシェアしよう!
  • 小樽にはなぜ餅屋が多い?老舗の餅屋「雷除志ん古」を訪ねて
  • Google+

FacebookのIDを利用して、北海道Likersへ登録します。

北海道Likersは、北海道を愛する皆さんと北海道を盛り上げるコミュニティです。

  • 利用規約に同意の上ご登録ください。
  • FacebookのIDで簡単に登録できます。登録は無料です。
  • Facebookに設定しているメールアドレスを登録します。お客様のメールアドレスは、北海道Likers運営からの連絡に利用いたします。
Title
Close