「サケの文化」北海道各地:北海道遺産シリーズ(19)

サケは北海道を代表する食材。その歴史は古く、石狩市では、縄文時代の遺跡からサケを捕獲したと推定される仕掛けが発見されています。母川回帰は生命のドラマを生み、自然環境保護の目に見える指標でもあります。サケ漁がさかんな標津町では、サケのことをもっと知ってもらおうと「標津町サケマイスター制度」を創設しています。
 
 
 
 
サケは捨てるところのない魚と言われ、身はもちろん、筋子や氷頭(ひず=頭部の軟骨)、珍味とされる背ワタ(肝臓)、1尾に1つの心臓、さばいた後のアラに至るまで食されています。3枚におろしたサケの切り身を鉄板で焼き、野菜と特製の味噌だれを和えて食べる「ちゃんちゃん焼き」、サケのアラと野菜を塩で味付けした「三平汁」、半解凍で食べるサケの刺身「ルイベ」など、サケが北海道の食文化に与えた影響は大きいといえるでしょう。
 
 
 
 
狩猟生活を営み、北海道の自然と生活を共にしてきたアイヌの人々にとっても、サケは特別な存在。毎年秋に確実に川を遡上するサケは冬の食生活の基盤になり、皮からは靴や着物など日用品をつくるなど、生活と大変密着した魚で、北海道に暮らす生物の命をつなぐ「カムイ・チェップ(神の魚)」として、サケを特別に扱ってきました。
 
 
 
 
江戸時代末期に鮭場所として拓かれた標津町は、松浦武四郎の『知床日誌』に「シベツ。シベヲツの訛り。鮭有る義なり」と記録されているように、古くからサケ漁が盛んな地域でした。明治20年代には千歳市や標津町で西洋式の「サケ・マスふ化場」が設置され、人工ふ化事業が進み、現在も標津町は国内で上位のサケ水揚げ量を誇ります。
同じく古くからサケ漁で有名な石狩市では、明治時代が最盛期で、漁期には2,000人以上の出稼ぎ人が入り込み、街には飲食店が十数軒も軒を連ねるほどの賑わいを見せました。この頃「石狩鍋」が誕生したといわれています。サケのぶつ切りやアラと野菜を白味噌スープで煮込んだものが道内でも主流ですが、材料にキャベツを使い、最後に山椒をふりかけるのが本場石狩流。今も家庭や飲食店で定番の鍋料理として親しまれています。
 
 
 
 
北海道の生活と歴史に深く関わっているサケの文化を伝えていこうと、食文化の伝承や環境保全のための取り組みも各地で行われています。
平成25年には、石狩市内の小学6年生を対象に、石狩鍋やサケの文化についての歴史講義や調理実習を体験する食育イベントが行われました。地域とサケの歴史、調理実習と実食を通して食や生命の大切さを学ぶことで、サケの文化の担い手を育成しています。
 
11月11日は、漢字の「鮭」のつくりの部分、「圭」を分解すると「十一十一」になることから「サケの日」に制定されています。厳しい冬を乗り越え、今日まで私たちと北海道に生きるものの命をつないでくれたサケに感謝して、あたたかい石狩鍋を家族で囲んでみてはいかがでしょうか。
 
 

関連リンク

北海道遺産「サケの文化」

 

北海道遺産

・Webサイト http://www.hokkaidoisan.org/
・Facebook http://www.facebook.com/hokkaidoisan