「ピアソン記念館」北見市:北海道遺産シリーズ(18)

ピアソン記念館は、アメリカ人宣教師G.P.ピアソン夫妻の私邸として1914(大正3)年に建てられました。開拓者たちに忍耐と勇気と希望を与え続けた夫妻の志の高い生き方は、北見の精神文化のよりどころとして今も多くの市民に親しまれています。設計者は近江兄弟社創設者としても知られているW.M.ヴォーリズです。
 
 
 
 
「日本の農村、農民を救う力になりたい」と願い、アメリカ人宣教師ピアソン夫妻は1893(明治26)年に北海道にやってきました。開拓伝道をめざし、函館、室蘭、札幌、小樽、旭川、釧路、名寄、遠軽…徒歩や馬の背に揺られ各地で布教活動に献身し、クリスチャンのいるところで訪ねなかった土地はないと言われるほどです。
小樽と札幌では、本道初期の女子教育に貢献し、札幌農学校の学生を教えたことも。旭川では、軍人伝道・廃娼運動・監獄伝道・学校教育に取り組み、北見では、略註(りゃくちゅう)付旧・新約聖書出版、遊廓設置阻止に成功し、多くの婦女子を救いました。また、英国人宣教師のジョン・バチェラーとともにアイヌ民族を援助するなど、宗教を越えた人間愛がふたりの生き方に貫かれていました。
1914(大正3)年、ピアソン夫妻が伝道の終点に選んだ地が、アイヌ語で「地の果て」の意味を持つ野付牛(現在の北見)です。故郷に似た美しい風景の高台に、2年がかりでピアソン邸が建てられました。 
 
 
 
 
館は、メンソレータムの近江兄弟社を創設したW.M.ヴォーリズの設計です。彼は住宅だけでなく、キリスト教会、病院、学校、デパートやホテル、オフィスまで手がけ、全国にあるその建築の多くが文化財として今も大切に残されています。
ピアソン邸には、米国様式の移民住宅にスイス風の山荘を取り入れたデザインが施され、テラスが張り出し、大きな窓は上下に開閉し、石の集合煙突がありました。しかし、この館はヴォーリズ氏の設計した図面どおりに建築されなかったそうです。「ピアソン記念館30周年記念誌」にはその理由を、建築を手がけた地元の棟梁が西洋建築を図面どおりに建てる技術がなかったからだと思われるとの記述があり、当時この館がどれほど先進的な建築だったかが想像できます。
人々は、この森の中の西洋館を大変珍しがり、また、夫妻の献身的な人柄を慕い、ここを訪れる人々は絶えませんでした。敷地にはカルカヤやキキョウが香り、日曜学校の子供たちが賛美歌を歌い庭の芝生で遊ぶ姿を、夫妻は慈しみ深いまなざしで見守っていたそうです。
 
 
 
 
ピアソン夫妻が「三柏(みかしわ)の丘」と呼んで愛した館に別れを告げ、帰国したのは1928(昭和3)年。ピアソンの来日から40年も経ってからの事でした。
その後、館は後任の宣教師や私邸、児童相談所と主を変えていきましたが、1968(昭和43)年に北見市が取得し、復元。1971(昭和46)年、市民の未来永劫の財産として「ピアソン記念館」がオープンしました。
記念館の1階は夫婦をしのぶ展示室。ピアソンが30年間かけて執筆・出版した「略註(りゃくちゅう)旧約聖書」の原稿、開拓者に勇気を与えた1906年製の鐘、賛美歌の伴奏に使った1878年製のオルガンなどが置かれています。2階にはW.M.ヴォーリズ記念室も開設され、貴重な資料の数々が展示されており、夫妻の功績を残すだけでなくヴォーリズの設計により建設された日本最北の建築物を保存するという役目も果たしています。
 
今年2014年はピアソン邸が建てられてから100年、そしてヴォーリズの没後50年という記念の年にあたります。
北見市では11月8日(土)に「記念講演&パネルディスカッション」を開催し、「次世代に残す文化遺産として」をテーマに今後のピアソン記念館の役割についての討論会が行われます。また、ヴォーリズゆかりの地であり建築物が数多く残る滋賀県近江八幡では、旧市街地および安土の同建築物やイベント会場を用いて、建築図面の公開を含むパネル展示やシンポジウム、講演会、文学・美術・音楽・映像など幅広い分野の記念企画展を開催しています。
 
 
 
 
北見駅からほど近いピアソン邸の周辺はすっかり都市化しましたが、館と敷地、隣接するピアソン公園の緑とさえずる小鳥は当時と変わらぬ様子を遺しています。3本あったうちの1本残ったカシワの老木が、誰にでも優しく慈愛に満ちたピアソン夫妻に代わってここを訪れるすべての人々を温かく迎えてくれるでしょう。
 

関連リンク

NPO法人ピアソン会
ヴォーリズ・メモリアルin近江八幡
 

北海道遺産

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