「氷点」誕生から50年。三浦綾子記念文学館で過ごすひととき

旭川が生んだ小説家三浦綾子。作品は1964(昭和39)年の「氷点」をはじめ「塩狩峠」「道ありき」などで、各国でも翻訳されています。処女作「氷点」の執筆で幾度となく通ったのが旭川にある外国樹種見本林。林に隣接する三浦綾子記念文学館と周辺を散策しました。
 
 

三浦綾子の生涯と仕事を知る

1Fは三浦綾子の生い立ちや作品を、年を追って紹介した常設展示フロア。キリストの信者となり病気が回復した後に、綾子と結婚した三浦光世(みつよ)氏(文学館館長)と二人三脚で作品を発表してきた、夫妻の足跡を知ることができます。聖書を読むことには“壁”があっても三浦綾子を1作でも読めば、その根源である「ひとがどのようにいきたらいいのか。」は少しも古くないテーマであることが、きっと感じられるはず。
 
 
 
 
 
 
2Fは企画展のフロア。訪れた時(2014年8月31日)は人間の「原罪」について、今風のコミックで「氷点」のテーマをビジュアルで解説した展示でした。2Fには寛いで映像や資料を座って見ることができる一角や、館員やボランティアによるレファレンスサービスもあります。
 
 
 
 
さらに今年訪れると、ふだんの半券やパンフレットに加えて「氷点50年ガイドブック」という記念の小冊子がつきます。絵はがきとして使える美しい写真ページが綴じてあり、旅先で使っても帰宅しても楽しめるつくりです。
 
 

市民運動でつくった文学館

旭川に生まれ、教員となって敗戦で虚無感を経験。病の身となり後に結婚して作家となっても、三浦綾子は常に旭川に暮らし、1999(平成11)年に天国に召されました。存命中に完成がかなった三浦綾子記念文学館。その特徴は、設立の原動力となった市民運動にあります。
 
 
 
 
旭川市域を超えて三浦文学に共鳴した全国の支援者から寄付が寄せられ、1998(平成10)年に文学館は完成。いまは入館料と賛助会員約3000名(組織も含む)からの会費収入で運営する、自治体の補助金によらない文化施設なのです。開館から16年、常に旭川市民とともにあり続ける文学館では朗読、音楽、サイエンスカフェなど市民イベントに利用されています。
 
 
 
 
この文学館には市民ボランティア組織「おだまき会」があり、カフェの運営や収蔵庫の資料整理など重要な働きをしています。ミヤマオダマキが好きだった三浦綾子当人により、発会後すぐに名前がついたという、気さくな人となりが伝わる逸話です。
 
 

外国樹種見本林を歩く

文学館の外には国有林の外国樹種見本林、通称見本林が広がります。冬期は入れなくなりますが、緑の木漏れ日のなかを散策することが可能です。
 
 
 
 
 
 
おだまき会の女性メンバーは「1Fのカフェにいますとヒマワリの種を求めて、ガラス窓のすぐそばまでエゾリスがやってくるんです。とてもすばしっこくて見飽きませんね」とのこと。エゾリスや虫たちが多く暮らす林を、ぜひ歩いてみましょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
朝日新聞1千万円懸賞小説にむけ、1年がかりで構想して見本林を調べ歩き、原稿用紙1,000枚の作品を応募した三浦綾子。「氷点」が見事当選し、翌年出版されてから今年は50年。
旭川で、三浦綾子の世界を感じてみませんか。