「空知の炭鉱関連施設と生活文化」空知地域:北海道遺産シリーズ(16)

 
 
空知は国内最大の産炭地として最盛期に約110炭鉱、83万人の人口を擁し、日本の近代化を支えました。しかし、エネルギー政策の転換などにより閉山が相次ぎ、空知の炭鉱は姿を消しました。現存している炭鉱関連施設は、生産から生活に関わっていたものまで多岐にわたり、まさに空知地域は屋根のない博物館といえるでしょう。
 
 
 
 
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北海道での石炭採掘は、江戸時代末期の1857(安政4)年、白糠からスタートしました。地質調査により空知の石炭が有望であるとの確証を得て、黒田清隆・榎本武揚ら開拓使の役人が、炭鉱を北海道開拓の先導役として位置づけて炭鉱開発を推進。炭鉱とともに、鉄道(幌内~小樽間の幌内鉄道)や港湾の整備が推進され、北海道の開発が一気に加速しました。
 
 
 
 
産炭地である炭鉱を、地元の人々は「ヤマ」と呼びます。ヤマのあるところに人々が集まり、学校ができ、商店街がにぎわい、ひとつのまちが形成され、多くの文化が生まれました。「なんこ鍋」(馬の腸の煮込み)や北海盆踊りなどは、炭鉱のまちから生まれた生活文化です。
 
 
 
 
空知の炭鉱はおよそ120年間の長きに渡り北海道の発展を牽引してきましたが、1995(平成7)年の空知炭鉱閉山により姿を消しました。しかし、私たちは今でも炭鉱の記憶に接することができます。 例えば、新千歳空港から見える森は、かつて坑木として植林されたものです。他にも、室蘭の製鉄・製鋼、江別の煉瓦、テレビ局、映画館のオールナイト上映、地質コンサルタントなど、炭鉱を起源とするものが、現在の北海道の普段の暮らしの中に多く残っています。
 
 
 
 
現在、地域再生に向けて炭鉱の記憶を生かすために、炭鉱の町ではさまざまな取り組みが行われています。2014年8月23日~10月13日、土日祝19日間に行われる『そらち炭鉱の記憶アートプロジェクト2014』もそのひとつ。かつて使われていた機械、施設など空知産炭地域に残る「炭鉱の記憶」を、現代アートの力でつないでいきます。このプロジェクトは、札幌国際芸術祭2014連携事業です。アートが引き出す炭鉱遺産の魅力に触れてみては。
 

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