震災の記憶と復興を知る「奥尻島津波館」

 
 
1993(平成5)年7月12日22時17分に発生した北海道南西沖地震。奥尻島は地震・津波・火災により甚大な被害を受けましたが、5年後に復興宣言し、現在は多くの観光客が訪れます。震災の影響と復興の様子を伝える奥尻島津波館を訪ねてみました。
 
 

北海道南西沖地震による津波と火災に見舞われた奥尻島

巨大地震は満月の夜に起きました。
「ドンと下から突き上げる音と衝撃があって、真っ暗になり外に出るのもやっとでした」。
奥尻島津波館で説明員を務める松塚さんが語りました。ご自身も地震被害に遭われた経験者。実体験に基づいたお話はとても説得力があり心に響きます。
 
地震が起きてからわずか3分後に島北部の稲穂地区を津波が襲い、5分後には島南部の青苗地区にも津波が押し寄せました。その後、西から、東から、幾度も津波が島全体に押し寄せ、各所で壊滅的な被害が発生しました。
 
 
 
 
さらに、青苗地区では火災も発生し、504世帯あった住居のうち399世帯が津波と火災で家をなくしました。消火には約11時間もかかったそうです。
 
 

北海道南西沖地震の記憶を後世へ伝える「奥尻島津波館」

災害の記憶と教訓、全国から寄せられた復興支援への感謝を後世に伝える目的で作られた施設です。震災の被害から復興まで、奥尻島の人たちが経験した災害の記憶と蘇生の物語を知ることができます。
 
 
 
 
ぐるっと館内を一周するように並んだ写真の中には、暗闇に燃え盛る炎や焼け落ちた集落、崖崩れで建物が押し潰された現場など、ショッキングなカットもあります。
 
 
 
 
198のひかりの前に並ぶものは、奥尻島の誕生から災害、そして復興と現在について、立体模型で紹介しています。それぞれのブロックに解説とともに立体模型が1つあり、計48個あります。
 
 
 
 
さらに、建物地下にある映像ホールでは、ドキュメント作品「災害の記録」が上映されています。北海道南西沖地震の発生メカニズムから災害の規模、そして復興への姿がつづられています。
あわせて地下には、奥尻島の歴史を伝える展示物があり、島の遺跡から発掘されたヒスイの勾玉も展示されています。
 
 
 
 
こちらの施設は入館料を支払えば自由に施設内を見学できますが、解説員の方にお話を伺いながら見学することがおすすめです。
解説員は松塚さんを含め3名。全員、ご自身が震災に遭い避難生活などを経験された方々です。実体験に基づいた解説ほど説得力があるものはありません。
「洗濯機で洗濯できるようになったのか嬉しくて仕方なかったです。日常のことがこんなに嬉しいと思いませんでした」、と語る松塚さんの言葉がとても印象的でした。
 
 

震災から復興し、観光客が訪れる奥尻島

震災直後から数多くのボランティアの方々が島を訪れ、復興に向けた取り組みが行われました。震災発生から2週間後には仮設住宅が建ち、1年後には追悼式が行われ、5年後の1998(平成10)年3月には完全復興を宣言しました。
 
震災の教訓から島の各所では防災に対する取り組みも実施されました。
 
 
 
 
 
 
地震と津波と火災に襲われ壊滅した青苗地区では、海辺にあった住居が高台へ移転し、海岸部は人が住まないエリアとなりました。海と生きる漁師さんにとっては苦渋の決断だったはずです。
人が住まなくなった場所に、「奥尻島津波館」が建ち、そのすぐ隣に徳洋記念緑地公園が作られ、公園内に慰霊碑「時空翔(じくうしょう)」が作られました。
 
 
 
 
全国から詰めかけたボランティアへお礼をしたい、と当時島にあった甘味を合わせて提供したスイーツは、現在では「ボラ(ボランティアの略称)」という名で奥尻島の島スイーツとなり、観光客にふるまわれています。
 
 
 
 
北海道Likersで紹介した「ボラ」の記事はコチラ↓
奥尻島の名物スイーツ「ボラ」って知っていますか?
 
奥尻島の顔でもある「なべつる岩」は地震で多少崩れたものの健在。現在も観光客をお出迎えするかのようにフェリーターミナル近くに立っています。
 
 
 
 
海の幸やレジャーを求めて奥尻島を訪ねる時、「奥尻島津波館」で社会科見学もしてみませんか?奥尻島の方々が経験した記憶と蘇生の物語を知ることができます。観光で訪れた地にある背景がわかるとともに、日々の何気ない暮らしがいかに大切か、ということも感じられます。