開拓の歴史とジンギスカン文化が宿る円山公園の桜

※この記事は2014年のものです
 
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札幌市内の桜の名所、円山公園。隣接する北海道神宮とともに、明治時代より毎年数多くの花見客が訪れます。特に、公園内でジンギスカンをする風景は、札幌の春の風物詩です。
 
 
 
 

道産子は桜を見ながらジンギスカン!

北海道以外にお住まいの方、特に関西地方にお住まいの方は、円山公園と聞くと京都の話をなぜ北海道Likersで?と感じるかもしれません。京都の円山公園は桜の名所の一つとして知られていますが、実は札幌にも円山公園があり同じく桜の名所なのです。
そして、京都の花見では見られないこの光景が、札幌の花見の楽しみ方なのです。
 
 
 
 
道産子は桜を見ながらジンギスカンを楽しみます。円山公園では春になると桜の木の周辺では炭火の煙がもうもうと立ち込め、お肉のいい匂いが漂います。
北海道外の方にとっては異様な光景かもしれませんが、道産子にとってはごく普通の光景。キャンプ場だけではなく、自宅の庭でも海水浴場でもジンギスカンをする道産子は、花見=ジンギスカンという感覚があります(もちろん、ジンギスカンをせずお弁当やおつまみなどを食べて花見をする道産子もいます)。
 
 
 
 
ただ、円山公園内は本来火気厳禁です。桜が咲く時期のみ一部エリアでの火気使用を認めるという一種の特例で、ジンギスカン好きな道産子気質を鑑みた粋な計らいが長年続いています。
 
円山公園の花見でジンギスカンをするという習慣がいつから始まったのかは定かではありませんが、花見の歴史は約100年。明治時代後期には札幌の人々が花見に訪れ、お酒を交わしてどんちゃん騒ぎをしていたという記録は残っているようです(円山百年史を参照)。
 
 

円山公園の桜の歴史

札幌の円山公園の始まりは、1880(明治13)年に開拓使が設置した養樹園(樹木の試験場)で、1911(明治34)年に養樹園が移転した後に公園として整備されました。
桜の名所となったきっかけは、北海道の開拓草創期、1875(明治8)年に隣接する札幌神宮(現在の北海道神宮)の参道へ150本の桜が植えられたことに始まります。
 
1869(明治2)年に開拓使が設置され、開拓主席判官として旧佐賀藩士の島義勇(しま よしたけ)がやってきました。島は同年12月に円山の丘へ登り、見渡した目の前の軸を南一条通と定めるなど、札幌の街づくりの構想をしました。
 
 
 
 
島はすぐに街づくりに着手し札幌の街の基礎を築きましたが、巨額の資金を費やしたため責めを受け、わずか100日あまりで罷免され札幌を離れてしまいます。その後、1874(明治7)年、佐賀の乱により明治政府に背いたことから捉えられ斬首刑となりました。
 
当時の政府から見れば島は逆賊ですが、札幌の人にとっては街づくりを推進した功労者。島が円山を訪れた際に道案内をした人々が、島の死を悼み1875(明治8)年に桜の苗木150本を神社の参道に植えました。
この桜が成長し、さらに周囲にも桜が植えられ、円山一帯が桜の名所として世に広まるようになりました。
 
 
 
 
 
 
近年、桜以外の樹木が大きくなり日光が遮られ、桜の木が弱ってしまいました。そこで、日当たりをよくするよう剪定など手入れが行われているほか、花見期間を短くするなど木を保護する取組みが行われ、現在は少しずつ桜の木が回復してきているそうです。
長年道産子が集う桜の木々、末永く生き続けてほしいものです。
 
円山公園内にはエゾヤマザクラを中心にソメイヨシノなど約150本の桜の木があります。本数だけ聞くとさほど多くないと感じるかもしれませんが、ここには開拓の歴史とジンギスカン文化が宿っています。
今年も北海道に桜の季節がやってきました。円山公園で花見ジンギスカン、いかがですか?