収穫の喜び/アイヌ四季の暮らし(8)

「マッネパ=女の季節=夏」の仕上げともいえる秋は、収穫、そして冬の準備と、女性にとって一段と忙しくなる季節です。


 
 
アイヌ語で秋は「チュㇰ(小さなク)」、川は「ペッ」といい、北海道内には築別(ちくべつ)、忠別(ちゅうべつ)、直別(ちょくべつ)など、チュㇰ(小さなク)・ペッが語源と思われる地名がたくさん残っています。けれども、なぜそう名づけられたのかはよくわかっていません。
 
「チュㇰ(小さなク)・ペッ=秋の川=夏は涸れていて、秋に水を湛える川」や「チュㇰ(小さなク)・チェㇷ゚(小さなプ)・ペッ=秋の魚(サケ)の川」という説もありますが、はっきりとはしていないのです。いずれも秋になるとサケが遡上する良い川で、アイヌにとって大切な川だったはず。だからこそ、今日まで地名が残ったのでしょう。

 

 
明治の中ごろまで、北海道ではほとんど米が穫れませんでした。明治維新とともに北海道へ渡ってきた開拓農民は、畑作で生計をたてていました。また、アイヌだけで生活をしていた時代は、自分の家のまわりにつくった畑で栽培する数種類の作物で、自給自足の生活を送っていました。
 
「ムンチロ=粟(あわ)」「ピヤパ=ヒエ」「メンクル=イナキビ」は古くから栽培されていたようで、アイヌ語名がついています。一方、ジャガイモや豆、カボチャは新しく(幕末ごろ?)入ってきた栽培作物のため、アイヌ語名がありません。
 
また、栗やヒエ、イナキビなどの穀類は、鎌で刈るのではなく、ピパという沼貝(川貝)でつくった道具で摘みとりました。カラス貝とも呼ばれるこの貝の、殻の大きなものを選んで上側に二つ穴を開け、紐を通し、下端を砥石(といし)で鋭く研ぎます。そして切り絵のように、指に紐に通し、貝殻を手のひらに握るように持って、刃の部分で実を切りとるのです。
 
昔は鎌があっても穀物の収穫には使わず、このピパで一穂ずつ摘み取りました。鎌で切ると生き返らないといわれることから、鎌は魔除けに用いられていました。そのため、粟やヒエの再生を願うアイヌは、決して使わなかったのでしょう。
 
 
*記事は『北の彩時記―アイヌの世界へ』(計良光範著、コモンズ刊)をもとに作成。
http://www.commonsonline.co.jp/kitanosai..html
*かじさやかのfacebook
http://www.facebook.com/sayaka.kaji.9